磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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日本の原爆記録12

2006年06月06日 | 読書日記など
『日本の原爆記録12』
   日本図書センター1991年

『ナガサキの被爆者 ・朝鮮・中国』西村豊行
『被爆韓国人』朴秀馥・郭貴勲・辛泳洙
 の二冊が掲載されています。



いくら原爆でさえ破壊できなかったもの、
それが差別だという。

この言葉をきくと絶望の淵においやられる方も
おられるのではないでしょうか?

差別とは差別している側は、
平気でそれは差別ではないと繰り返してもいます。

自らの立場を逆にすれば、
どうなのでしょうか。



『ナガサキの被爆者 ・朝鮮・中国』
切支丹差別なんてことまであったんですね。

ゼノ修道士のことが書かれてありました。
でも、ゼノ「神父」と間違っておられました。
ゼノさんは神父ではありません。

他者を受け入れる余裕のない方は、
それだけで不幸だと思います。
僕も含めてですが……。(-_-;)

日本のカトリック教徒は聖母に戦勝祈願していた。
もちろん、日本が勝つように……。

神の摂理をとかられて、怒る被爆者の怒り、
まるでアメリカの偉い人たちが
神のいうとおり生きているようです。
それは昔からありえないことですね。

朝鮮半島で長崎の原爆のキノコ雲が見えたという。下「」引用。

「「朝鮮の済州島からキノコ雲が見えたとですよ。私は済州島で任務についていたとですが……」。キノコ雲の下が真赤になって見えた。ちょうど長崎の方角だった。変な雲が出たものだと仲間と話し合った。」

朝鮮人、防空壕を追い出されると書いてありますが、
地区によって日本人でも追い出されたらしいです。

朝鮮の方が強制連行され、被爆されたのは、
まったくひどい状況であったと思います。
それを思うと、胸が苦しくなるほどです。

そして戦後は日本人ではないからと、
社会保障の制度からも洩れていたという。


『被爆韓国人』
釜山では日本人が土下座させられたという。同。

「釜山に到着したのは九月中旬。祖国を出てちょうど一三カ月目だった。永登浦駅に降りると、日本人引き揚げ者が列をつくってひしめいていた。一行は緊張が解けると、急に胸の内に抑えていた悲しみとくやしさが一度に爆発した。一行中のだれかが前に出て、日本人たちに向かって叫んだ。「見よ、この遺骨を。おまえたちの残虐な罪の代価を」だれかれとなくつぎつぎと糾弾演説がつづく間、日本人たちはみんな土にひざまずき、遺骨を向かって合唱しながらうなだれていた」

三島由紀夫に関連して書かれてありました。同。

「三島由紀夫の割腹記事を読んで、-略-彼の発想がヒトラーの狂気と通じていることがわかった。民族、むろん大切なことだ。しかし、ぼくたちは歴史でその帰結がどんなものかを学んだのではなかったか。」

こんな文章もありました。同。

「大日本帝国軍隊によっていわれなく蹂躙され、二千万余といわれる虐死者を出したアジア・太平洋地域の人々の気持でもあるに違いない。原爆の悪魔性をこれらの方々に理解して頂くためには、先ず日本のなしたことへの真摯な反省と謝罪必要であろうが、その点について政府はもちろん、日本の平和運動にも大きな欠落があったといえまいか」

僕じたいは、消化できていません。
朝鮮の文化などについても何冊か本を読みましたが、
まだまだです。m(_ _)m


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