磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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流燈-第三編 広島市女原爆追憶の記-

2008年10月13日 | 読書日記など
『流燈-第三編 広島市女原爆追憶の記-』 
   今西和男・著/広島市高等女学校
     広島市舟入高等学校 同窓会1987年

たくさんの学校が被害をうけたわけです。
--そのなかでも、一番の被害だったそうです。



この碑は占領下つくられたもので、原爆と表現できないので、物理学の方程式が書かれていますね。

「三周忌 二十二年の祥月祥日」について。下「」引用。

「現場は再び有縁の人々の涙の集いであった。しかしバラックの街には「平和祭」と称するにぎやかな楽の音が流れていた。進駐軍の飛行機の爆音が私たちの頭上スレスレに轟いていた。
 平和はもちろん私たちの願うところ、平和祭はよい催しにはちがいない。しかし八月六日はお祭りさわぎの日であってはならない。せめてこの日だけは虔しい日でありたかった。静かな市民の祈りの日でありたかった。声をのみ涙をかんで爆音をきかねばならなかった占領下の民のみじめさを私たちは何度味あわされたことだろう。」

学徒動員の工場で「軍艦マーチ」。下「」引用。

「でも、時折り廠内に鳴り響く「軍艦マーチ」で戦局を聞かされ「勝つまでがんばるぞ」と決意を新たにしたものだ。ラジオも新聞もないんだから日本軍の勝利を信じるより他はなかった。」

一時の苺畑の楽しみもあったようです。下「」引用。

「朝から帰るまで休みなく作業をさせられたグループ。作業はほどほどに苺(いちご)畑に案内され苺を満喫したグループ。おやつにおむすびを食べた人。お芋だった人。今の飽食の時代の人には理解出来ない女学生らしからぬ食べ物の話に終始した会話だったと思う。」

「舟入高校への継承「八月六日」の継承者として」広島市立舟入高等学校社会問題研究部参与 宮崎浩文・著。下「」引用。

「-略-今、生徒たちは市女の被爆体験を次のように受けとめてゆこうとしています。
「私たちが通う舟入高校の前身は、広島市立高等女学校(市女)と呼ばれる学校でした。昭和二十年八月六日、市女は教師・生徒合わせて六七六人という、市内の学校では最大規模の犠牲者を原爆によって失いました。毎日毎日勤労奉仕の連続で、楽しい学校生活を送ることもできず、食べるものも着るものもなく、手づくりのゲタばきで…戦争は乙女たちの青春を奪い、そして原爆は彼女たちの命までも焼きつくしてしまいました。-略-」

演劇部も活動……。下「」引用。
「一九七七年(昭五二)でした。この年私ども演劇部は、従来取組んでいる原爆をテーマとする創作劇の第九作として「虎杖忌(こじょうき)」を創作し、はからずも中国地区代表として三度目の全国大会に出場することになっていました。」

「折り鶴キャンペーンにご協力を」という記事もありました。下「」引用。

「昭和二十年八月六日、我舟入高校(当時は広島市立高等女学校…略して市女(いちじょ)は原爆によって六七六名という、市内の学校では最大の犠牲を出しました。
 今年は被爆四十周年の区切りとして、市女の全ての被爆犠牲者のお名前を刻んだ碑が建立され、八月六日にその除幕式が行われます。-略-今回七月十九、二十日に「舟入折り鶴キャンペーン」を企画しました。このキャンペーンは、本期間を中心に、全校のみなさんに協力してもらって折り鶴を折り、それを八月六日の除幕の際に供えようというものです。-略-
    -社会問題研究部-」






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