磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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イアンフとよばれた戦場の少女

2010年07月17日 | 読書日記など
『イアンフとよばれた戦場の少女』
   川田文子・著/高文研2005年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「-略-沖縄に残された元「慰安婦」ペ・ホンギさんを追った名著『赤瓦の家』取材以来28年、一貫してこの問題を追い続けた著者による「慰安婦」問題の集大成。豊富な写真と文で日本軍性暴力被害者たちの人間像に迫る!」

赤瓦の家-朝鮮から来た従軍慰安婦-



父は日本軍将校。表紙は母(ドリス・スマンポーさん)に抱かれたエディさん……。下「」引用。

「エディさんの父親はカナガワという日本軍将校。エディさんはカナガワに会いたいと語り、ドリス・スマンポーさんは逢いたくないときっぴり否定した。」


「沖縄に残された「慰安婦」被害者」
ポンギさんとのことが書かれてあった……。

暴力「拒否すれば帳場にも兵隊にも殴られる」

イレズミを入れられた元「慰安婦」……。下「」引用。

「左腕に彫られた「金子」の刺青は慰安所の源氏名で、先輩が名前を忘れないようにと彫ったと宋さんはいうが、おそらく逃亡防止のため業者が彫らせたのだろう。銭湯で人に見られては恥ずかしいので、針で突いて消そうとしたが、途中で断念した。」

「ナヌムの家」の写真説明。下「」引用。

「「ナヌムの家/日本軍『慰安婦』歴史館に慰安所の部屋を模した展示がある。そこにいくと、思わず中に入り、自分の部屋の様子を説明した宋さん。」

自殺「慰安婦」。下「」引用。

「世界館の近く大和館、寿館という慰安所がありました。ある日、寿館に憲兵が出入りし、騒然としていました。連れて来られたばかりの少女がクレゾールを飲んで自殺したのです。-略-」

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「南京レイプ」 下「」引用。

「両親を失った明貞さんは、叔母にあたる一六歳のその少女を頼りにし、二人で一緒に暮らそうと話していました。その矢先、その少女は日本兵に輪姦され、明貞さんの目の前で殺されたのです。
 明貞さんくは強姦された時負った傷が痛くて歩けず這っていました。排尿のコントロールもできず、冬の寒空の下、空腹を抱え、物乞いをして、一人で生きていかなければなりませんでした。靴がなくて足を赤く腫らし、夜は小屋の藁のなかにもぐって寝ました。幼い物乞いを人々は憐れみ、衣類などをくれる人もいました。-略-明貞さんの話は、南京虐殺紀念館の一室で聞きました。明貞さんは、その後の人生を変えてしまった日の記憶の中を浮遊するような、おぼつかない足取りで帰って行きました。」

「強姦されたことを夫も姑も知っていたのが辛かった」

もくじ

陸軍少将が認める。下「」引用。

「陸軍第五九師団歩兵第五四旅団長で、陸軍少将だった長島勤は次のように記しています。
《作戦進行中主食の不足及び副食物を掠奪し、根拠地討伐のとき、私は軍民遮断の目的を以て覆滅(ふくめつ)の命令を下したことがあります。それ故殺害、放火、掠奪、拷問等の罪行が尚更惨酷になりました。人民暴行、中国婦人侮辱等も多くありました。》(『世界』九八年五月号/一二四ページ)-略-」

強姦は親告罪と地区……。下「」引用。

「このように陸軍刑法で規定されていましたが、強姦、輪姦で軍法会議にかけられることはきわめて稀でした。強姦罪は親告罪でした。被害者から訴えられることは、まずなかったのです。たとえ訴えられても中隊長らが、自分の進級に影響するので握りつぶしました。上官が黙認することを知って、兵隊は作戦に出ると、陸軍刑法では犯罪と規定されている行為を平気で繰り返したのだ金子さんはいいます。
 しかし、日本の支配下にあった治安地区での強姦、輪姦は自重されました。女性に対する性暴力が中国の人々の反日感情を強く刺激し、宣撫工作の障害になると考えられていたからです。また、支配が完全でない準治安地区や未治安地区(八路軍にとって解放軍)の人々が性暴力被害を訴えることは不可能でしたが、治安地区では訴えられる可能性も皆無とはいいきれなかったからです。
 準治安地区では、強姦、輪姦後、証拠穏滅のため殺害してしまう例が少なくありませんでした。燼滅の対象だった未治安地区では、どうせ、殺すんだからと、強姦、輪姦はほとんど野放しでした。」

アヘンと慰安所業者。下「」引用。

「日本軍はアヘンの流通に関わり、謀略工作の経費や傀儡軍の維持費にあてていたといわれます。この供述書では、アヘンの売買に慰安所業者が深く関わっていたことを示しています。」

下士官の女になることは……。下「」引用。

「日本軍の拳銃を持った下士官が泊まっていれば、彼女にとって非常に心強かったに違いありません。また、「慰安婦」は、荒んだ兵士から始終暴力をふるわれていました。たとえば「ミサオは鈴木下士官の女」ということが兵隊たちの間に伝われば、その「慰安婦」に対して乱暴なことはできなくなります。将校、下士官の特定の「女」になることが、兵隊の暴力除けになったのです。」

「「慰安婦」に対する人権侵害を「罪」と認めた元日本兵」

「レイプ・センター(慰安所)」「軍事的性敵奴隷」と1996年クマラスワミ報告書。

「登録された二万二○○○人余の被害者」インドネシア。

中曽根の被害者からの聴取。下「」引用。

「私は、九五年から九六年にかけての三回のインドネシア訪問で、日本軍に襲われた「原住民の女」や、中曽根主計将校が苦心して作ったという日本軍の慰安所に、だまされたり、脅されたりして連行された女性たちの証言を数多く聞くことになりました。-略-」

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他の現地妻のことも書かれてありました。

責任者の金と遺族。下「」引用。

「責任者が生存していたら受け取ったであろう恩給の累計額、その遺族が生存中に実際に受け取ったとみなされる扶助料の総額を各自の経歴に照らして計算すると、次のようになりました。
 関東軍参謀、陸軍大臣などを経て内閣総理大臣となり、侵略戦争を推進した東条英機は一億円五○○○万円、南京占領直後から慰安所の設置が拡大しましたが、当時、上海派遣軍司令官であり、後に中支那方面軍司令官を兼務した松井石根は一憶二○○○万円、宋さんが武昌の慰安所に連行された当時の中支那司令軍であり、後に陸軍大臣となった畑俊六も一億二○○○万円です。」

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