磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー

2010年10月19日 | 読書日記など
『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』
   クリストファー・ヒッチンス(著)/
     井上泰浩(訳)/集英社2002年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「9.11。
アメリカはなぜ狙われたのか?
2000年に機密指定を解除されたCIA文書が語るノーベル平和賞受賞者の政治犯罪。」



政敵の著者。下「」引用。

「読んでいただければおわかりになると思うが、この本を書いたわたしはヘンリー・キッシンジャーの政敵だ。しかし、「政敵」ではありながら、キッシンジャーの犯した悪事のすべてを書きつづったわけではない。なぜなら、この本で取り上げたのは犯罪として立証できる、もしくは立件可能なキッシンジャーの犯罪だけに絞り込んだからだ。その犯罪というのは、戦争犯罪、人権蹂躙、国際法違反、さらに、殺人、誘拐、拷問を企て指示を出してきたことなどだ。」

クルド人を切り捨てたキッシンジャー。下「」引用。

「キッシンジャーがイラクのクルド人を政治的に利用しながら、都合が悪くなると切り捨てたことも、この本の中で取り上げ非難することもできた。一九七四年から七五年にかけ、キッシンジャーにそそのかされたクルド人はサダム・フセインに対して武力闘争に突入した。しかしフセインがイラン国王と外交交渉を成立させると、彼らは山岳地帯に取り残され皆殺しにされた。キッシンジャーは彼らを裏切り見捨てた。-略-」

被告席にすわるべきキッシンジャー。下「」引用。

「キッシンジャーを裁判にかける令状を司法機関が出すことは当然であり、そして、キッシンジャーは被告席で証言せねばならない。事実、いくつかの司法機関は証拠集めに取りかかっている。」

「クリスマス爆撃」は戦争犯罪。下「」引用。

「ハルデマンとキッシンジャーが二年後の選挙を見越し、選挙期間中に始め、選挙に勝つまで続けられた北ベトナムへの「クリスマス爆撃」は、戦争犯罪だ。「軍事目的」で爆撃が続けられたのでは断じてなく、選挙に勝つという政治的な理由で続けられたからだ。」

「キッシンジャーの戦争犯罪--インドシナの一例」
広田とキッシンジャーは同罪。下「」引用。

「キッシンジャーは日本の政治家・広田弘毅のケースにあてはまると、タイラー将軍はいう。
 -略-東京裁判で広田は有罪判決を受けた。判決理由は、「残虐行為を中止させる処置を取るよう閣議内で主張しなかった責務の不履行」および、「実際に中止されないと知りながら、軍部の確約を過信した」というのが判決理由だ。」

テープを公開しなかった。数々の戦争犯罪……。下「」引用。

「テープが公表されることで最も被害を受けるのはキッシンジャーにほかならないと、ニクソン自らが語っている。テープにはヘンリーの発言がかなり録音されており、テープが公表されると大変なことになると彼自身が言明している。-略-いわゆるニクソン・テープの開示訴訟は、まだ一部しか結審していない。キッシンジャーの発言が収められた部分が明らかになるまで、ベトナム戦争の歴史を正確に把握することはできない。
 キッシンジャーが権力の座にのぼる踏み台となつた一九六八年のパリ和平交渉での秘密工作と、ベトナム戦争終結時に彼が関わった犯罪は、序章と終章にすぎない。その間に、想像を絶する戦争犯罪の数々を積み重ねている。」

集団虐殺の首謀者カーン将軍と結託していたキッシンジャー。下「」引用。

「中国との交渉で民族大虐殺の首謀者カーン将軍と結託していたということは、ニクソンとキッシンジャーも大虐殺に関わっていたということになる。ここまで読まれて、こんな疑問を持たれている読者もおられることだろう--なぜキッシンジャーは独裁・全体主義政権との裏ルートに頼って中国との外交を進めたのだろうか。オープンな外交はできなかったのか。答えは、ニクソンとキッシンジャーは秘密政治がお得意だということだろう。」

民主主義が大嫌いなキッシンジャーとチリ。下「」引用。

「民主主義が大嫌いなキッシンジャーがよく使う表現がある--国民が無責任だからといって、国家がマルクス主義になっていい理由はない。あげつらわれている国は、チリのことだ。キッシンジャーがこう断言したとき、チリは南米でも最も自由な民主主義国家として発展していた。一九七○年九月の大統領選挙で、左翼候補が得票率三六・二パーセントという多数票を僅差で取った。-略-実は、アジェンデというのは、チリの極右勢力やチリに進出しCIAの手先にもなっているITT、ペプシコーラ、チェイス、マンハッタン銀行といった米国巨大企業が忌みきらっていた人物だった。」

ペプシとニクソン。下「」引用。

「反アジェンデ勢力は、ただちにニクソン大統領と連絡を取った。ニクソンはペプシコーラの社長であるドナルド・ケンドールに個人的に借りがあった。ニューヨークにあるジョン・ミッチェルの法律事務所でニクソンがまだ駆け出しの弁護士のだったころの話だ。ニクソンが初めて顧問弁護士となれたのはケンドールのおかげなのだ。」

チモールの大虐殺。下「」引用。

「この文書は一九七五年一二月に国務省で開かれた会議を記録したものです。この会議は、あなた(*キッシンジャー)が訪問からもどった直後に開かれ、国務省法律顧問のリー氏による報告が文書になっていたことを知ったあなたは職員をしかりつけています。-略-この文書から明らかなことは、あなたが職員をしかった理由は、第一に報告書が世間に漏れてしまうことを恐れたため。第二に、あなたはインドネシアによる東チモール侵略を支援しており、このことは国務省の部下に命じたこととまったく逆であり、そんなことを知られたくなかったからです。スハルトとの会談が終え、あなたが帰国してから一六時間後には、インドネシア軍のパラシュート部隊が東チモールの首都ディリに舞い降りています。海上からの揚陸作戦も展開され、チモール人の三分の一が犠牲となった虐殺が始まったのです。そのとき、あなたはインドネシアに対する米国の軍事援助を早急に倍増させることを発表しています。」

私物化し殺人のキッシンジャー。下「」引用。

「キッシンジャーには政治を私物化してしまう性癖がある。自分の面子を立てるために、数知れぬ人びとの命が失われてしまった。ときには、シュナイダー将軍、マカリオス司祭、シーク・ムジブといった自分の都合の悪い人間を抹殺の標的にした。そして、彼は恨みを持てば必ず残忍な報復に出てくる。
 政治を私物化し、報復に執念を燃やすというふたつの性癖が一度に出たケースがある。エリアス・デマトラコポウロスを誘拐し殺害しようとした計画だ。-略-」

ニクソン像。下「」引用。

「ニクソン像のもうひとつは、彼の暴力への執着だ。ハッツェネッカーの死後に見つかったメモ書きを読むのが一番いいだろう。ニクソンは手荒な方法や警察による扇動行為が好きだった。一九五八年、副大統領当時の南米歴訪を台無しにした暴動は、彼自身が煽ったために起きたようにも思われる。大統領になってからも変わらない。反戦運動家を制圧するために全米トラック運転手組合を使うことに合意したときの会話録音によく表れている(「いいぞ……あいつらの頭をたたき割ってくれるわ」)。こんなことをいう男が、議会出馬のときには平凡な戦争歴を粉飾し、下ネタは大好きでありながらご婦人たちとのつき合いは苦手で、厳格を装いながら賄賂の金にまみれていたのだ。偉そうなことをいっているくせに、金持ちにはいいなりとくる。現実を直視できないエセインテリだ。」








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