『原子力の奇跡-国際政治の泥にまみれたサイエンティストたち-』
西堂紀一郎、ジョン・イー・グレイ(著)/
日刊工業新聞社1993年
原子力、この闇にとざされた力があらわれるのは、闇をつくることによってのみ可能だった…とボクは思う。今も情報を公開したわけではありません……。原発は情報を公開したら、おのずと廃止しなければならないと書く方もいます……。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「第二次世界大戦後の世界を話し合うヤルタ会談に招かれず、反アングロサクソン魂を内に秘めた誇り高きドゴール将軍は、優れた米国製の原子炉を拒否し、あくまでも独自技術を推し進めようとした……しかし不滅の英雄ドゴールもパリ、カルチェラタンの学生運動に端を発した五月革命で一人エリゼ宮を去っていった。」
核分裂の科学的予見……。下「」引用。
「一九三五年のノーベル賞授賞式後の記念講演で、ジュリオ・キュリーは、「将来我々科学者は原子を自由に分割したり、くっつけたりすることができるようになるだろう。その時には莫大なエネルギーが放出されるだろう」と予言した。」
一九三九年三月、二次中性子を発見したジュリオ・キューリーのグループ。
中性子を原子核に当てて核分裂するには、中性子の衝突速度を遅くすることを発見。
フランスの大統領ドゴールは、後半は反米に。
アメリカに頼らない原子力開発。
フランスが成功したのは、電力会社が国営企業のみだったからだという。
そして、アメリカのような反対運動もおきなかった。
--フランスが平和国家などということもありませんね……。
戦時中、ナチスに原爆開発させないために。
フランスにあった重水をイギリスに移送。
このことをテーマに、フランス映画があったと思い出す……。
英国の誤算。
アメリカから有益な情報をもらえると思っていた。
しかし、戦時中からプルトニウム生産用原子炉が運転されていたが、戦時中の米英協力体制の下ですらこの施設へのイギリス人の立入りは認められなかったという。
ジュリオ・キューリーは共産党員、情報がもれないようにアメリカは神経を使うようになったという。
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西堂紀一郎、ジョン・イー・グレイ(著)/
日刊工業新聞社1993年
原子力、この闇にとざされた力があらわれるのは、闇をつくることによってのみ可能だった…とボクは思う。今も情報を公開したわけではありません……。原発は情報を公開したら、おのずと廃止しなければならないと書く方もいます……。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「第二次世界大戦後の世界を話し合うヤルタ会談に招かれず、反アングロサクソン魂を内に秘めた誇り高きドゴール将軍は、優れた米国製の原子炉を拒否し、あくまでも独自技術を推し進めようとした……しかし不滅の英雄ドゴールもパリ、カルチェラタンの学生運動に端を発した五月革命で一人エリゼ宮を去っていった。」
核分裂の科学的予見……。下「」引用。
「一九三五年のノーベル賞授賞式後の記念講演で、ジュリオ・キュリーは、「将来我々科学者は原子を自由に分割したり、くっつけたりすることができるようになるだろう。その時には莫大なエネルギーが放出されるだろう」と予言した。」
一九三九年三月、二次中性子を発見したジュリオ・キューリーのグループ。
中性子を原子核に当てて核分裂するには、中性子の衝突速度を遅くすることを発見。
フランスの大統領ドゴールは、後半は反米に。
アメリカに頼らない原子力開発。
フランスが成功したのは、電力会社が国営企業のみだったからだという。
そして、アメリカのような反対運動もおきなかった。
--フランスが平和国家などということもありませんね……。
戦時中、ナチスに原爆開発させないために。
フランスにあった重水をイギリスに移送。
このことをテーマに、フランス映画があったと思い出す……。
英国の誤算。
アメリカから有益な情報をもらえると思っていた。
しかし、戦時中からプルトニウム生産用原子炉が運転されていたが、戦時中の米英協力体制の下ですらこの施設へのイギリス人の立入りは認められなかったという。
ジュリオ・キューリーは共産党員、情報がもれないようにアメリカは神経を使うようになったという。
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