磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ストロング・デモクラシー-新時代のための参加政治-

2010年05月29日 | 読書日記など
『ストロング・デモクラシー-新時代のための参加政治-』
   ベンジャミン・R.バーバー(著)/
     竹井隆人(訳)/日本経済評論社2009年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「代議制は、市民の意思を反映しているのか。
新たな公共性の構築は可能か。
「参加」「熟議」を柱とした「ストロング・デモクラシー」を提唱。」

リベラル・デモクラシーを強く否定した一冊……。



「序文--二○周年記念版によせて」 下「」引用。

「『ストロング・デモクラシー』がはじめて出版されてから二○年が経ち、その間に平等と自由、共同社会と個人主義、参加制デモクラシーと代議制デモクラシー、の微妙な弁証法的関係はほぼ変わっていないのであり、これらの関係はこの数百年間に積み重ねられてきた議論と同様に依然緊迫感と矛盾に満ちている。-略-」

最初出版されたころの時代背景。下「」引用。

「本書の初版が出た一九八○年代、政治学は「リベラル対コミュニタリアン」の論争の真只中にあり、本書もその渦中に巻き込まれることを余儀なくされた。すなちわ、バーバーは本書にても利己的人間を増殖させ、デモクラシーを崩壊させるとしてリベラルを排撃しており、それが故であろう。-略-」

市民とは統治者(ストロング・デモクラシー)。下「」引用。

「市民とは統治者のことであって、すなわちそれは、自己の統治者、共同社会の統治者、自分の運命の支配者であることを指す。」

「人民」×「大衆」× 下「」引用。

「ストロング・デモクラシーは「人民」による政府でも、「大衆」による政府でもない。それは人民がいまだ市民ではなく、大衆は名目上の自由人に過ぎず、実際には自治を行っていないためである。」

反リベラル……。下「」引用。

「リベラリズムという英国風の言葉はデモクラシーのレトリックを退屈で無感動なものにしてしまった。」

リベラル・デモクラシーの本質……。下「」引用。

「リベラル・デモクラシーは正真正銘のリベラルであっても、本質的にデモクラシーとは相容れない人間性、知識、政治を前提としている。すなわち個人と個人的利益という概念が、この二つに依拠しているそのデモクラシーの実践を徐々に蝕んでいるのである。
 それがゆえに、リベラル・デモクラシーは価値観が打算的になり、また暫定的、恣意的、条件付きとなって、極端に排他性が強い個人的かつ指摘目的を意味する「シン(薄弱)」なデモクラシーの理論となってしまう。この不安定な基盤から、市民権、参加、公共の全、市民の美徳という確固たる理論が現われるとは思えない。」

限界……。下「」引用。

「リベラル・デモクラシーの限界は、自己を優先するイマジネーションによる限界なのである。」

生き方になっている……。下「」引用。

「ストロング・デモクラシー的政治においては、参加はそれ自体を定義する方法であり、市民権が生き方とてなっているのと同様である。」

「ストロング・デモクラシーにおける政治判断はまた概念的なものではなく術策的なものになる。」

日本では名古屋市で実行しようとしたことでは?
既成政党はそれを阻止しようとする?








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