磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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清張さんと司馬さん

2006年09月08日 | 読書日記など
『清張さんと司馬さん』
    半藤一利・著/NHK出版2002年

二大文豪ですね。
今ではこれほどの方はおられませんね。



清張さんは休日でも働くので、この著者に電話をかけてきて休日を奪ったそうです!?

清張さんが反論できない立場におられるから、かわいそうな気もします。

酒を飲まない清張さんは、酒好きの著者とはずれがあり、ソフトクリームを買ってこられたという。下「」引用。

「それも特大のそれを両手に捧げもつようにして、小走りに走ってくるではありませんか。清張さんなんです。フウフウ息を切らしながら清張さんは一つをわたくしの前に差し出して、言うのです。
「半藤さん、これでも食べて、機嫌を直して、明日からのアメリカ取材でも頑張ろう」
 そしてご自分も、三角に盛り上がるだけ盛り上がった真っ白い頂上から、べろべろやっているではありませんか。酒の恨みなんていっぺんに吹き飛びました。」


清張待ちという言葉があったそうです。下「」引用。

「年譜を見るとびっくりさせられます。昭和三十年の十年間の凄まじい執筆量、字義どおり超人的です。ほぼ毎年、連載小説を十本前後抱え、短編小説もこなし、その上に講演旅行に海外取材とエネルギッシュに行動しています。−略−締め切りを前にして、清張さんも必死なら、こっちはそれ以上に必死。ほかの部分は全部校了にして、あとは「清張待ち」というわけです。いまになると、なつかしい言葉ですね、「清張待ち」。」

司馬さんは、古代を拒否されていたようです。下「」引用。

「司馬さんは、鎌倉時代以前はいまの日本人とつながるものはない、と完全に書くことを拒否しました。書いた小説は『義経』がいちばん古い時代ということになります。」

著者は司馬さんの間違いだと思い、指摘したが、「よく読んでみろ」といわれて読んでみると、確かにはっきりと書かれてあったそうです。


史料に関して、司馬さんは語っておられます。下「」引用。

「史料に盛られているものは、ファクトにすぎません。しかし、このファクトをできるだけ多く集めなければ、真実が出てこない。できるだけ沢山のファクトを机の上に並べて、ジーッと見ていると、ファクトからの刺激を立ち昇ってくる気体のようなもの、それが真実だとおもいます。
 ただ、ファクトというものは、作家にとって、あるいは歴史家にとって、想像の刺激材であって、思考がファクトにとどまっていては、ファクトの向こうには行けない。そのためにも、ファクトは親切にみなければいけないと思います。」

司馬さんとノモンハンのことは他の本にもいろいろ書かれてあります。

はじめて知ったのことは、このことです。下「」引用。

「ところが、その須見さんからある日、絶縁状が司馬さんのもとに届けられた、というんです。−略−それは司馬さんが「文藝春秋」誌上で元大本営参謀(作戦課)の瀬島龍三氏と対談したためでした。
「よくもあんな卑劣な奴と楽しそうに対談をして、私はあなたを見損なった」
 という旨のことが書かれていたといいます。そして絶交するとも。−略−」


この著者は「ノモンハンの夏」を書いておられます。








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