磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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オランダ領事の幕末維新-長崎出島からの手紙-

2010年04月15日 | 読書日記など
『オランダ領事の幕末維新-長崎出島からの手紙-』
   A・ボードウァン(著)/
     フォス美弥子(訳)/新人物往来社1987年

「本書について」有坂隆道(関西大学教授)著。下「」引用。

「オランダ領事館兼任オランダ貿易会社駐日筆頭代理人、アルベルト・ボードウィン-略-。幕末期に長崎療養所の教官として招かれ、維新後は大阪医学校の教官として、多くの日本人医師たちに新しい医学と基礎科学を教えた屈指の人物である。兵部大輔大村益次郎が刺客に襲われたとき治療にあたり、あるいは上野公園を誕生せしめたのも、ドクトル・ボードウィンであった。その九歳年下の末弟がアルベルトなのである。
 アルベルトは、兄よりも早く、一八五九年(安政六)三十歳のとき、オランダ貿易会社の一員として長崎に渡来した。依頼、一八七四年(明治七)日本を離れるまで、十五年間滞在した。その滞日期間中に故国のユトレヒトに住む姉たちに送った書翰百五通を、はじめて紹介したものが本書である。-略-」



カルチャーショックはあったが、日本に深い理解をもつ、親日家だったという……。

生ビールが当時の日本にはなかったという……。

結婚相手にはならない……。下「」引用。

「ご婦人方は日本で結婚相手を捜すのは無理ですよ。当地の社会ではヨーロッパの女性に魅力的な結婚申し込みはほとんどありません。-略-」

シーボルト。下「」引用。

「時々日本に関する大作の著者、P・F・フォン・シーボルト准男爵の訪問を受けます。-略-ファン・シーボルト氏は六十四歳で、決して鋼(はがね)のように頑丈な老人だとは言えませんが、復活祭第一日目の休日に朝八時から夕方六時まで、出島の住民たちと一緒に山中を闊歩して、二十代の青年のような健脚を誇りました。-略-」

ポンペ。下「」引用。

「ドクトル・ポンペは日本人のために長崎に病院を建設中です。彼がトーンの検眼鏡を引き取ります。検眼鏡も補給物資もまだ着いていまん。」

キリスト教信徒。下「」引用。

「長崎のキリスト教信徒についてなどは、まさにおとぎ話です。私の地区の信徒たちは、長崎に住んでいた時と同じように、追放された土地でも健在に暮らしていると思います。溺死したのではありません。ヨーロッパ人に対する大名の敵意についても、実の話は、彼らはヨーロッパ人の日本退去を希望しているのです。どれもこれも、でたらめな戯言(たわごと)で、おねんね前の子供に語って聞かせるおとぎ話ばかりです。-略-」








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