磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

闇に消される原発被曝者 増補新版

2011年09月28日 | 読書日記など
『闇に消される原発被曝者 増補新版』
   樋口健二・著/八月書館2011年

図書館の説明文。下「」引用。

初版:三一書房 1981年刊 闇から闇へ葬りさられる原発被曝者の赤裸々な証言。ここに放射能に肉体をおかされた労働者の姿がある…。「核のない未来賞」を受賞した報道写真家が、被曝労働者40万人超という悲惨な現状を問う。」



「想定」を外に……。下「」引用。

「二○一一年三月一一日に発生した東北・関東大震災による“原発震災”は、東京電力福島第一原発で発生した。福島第一原発の地震による津波評価は、わずか五・七メートルと低く、愕然とする。その上、地震評価もマグニチュード七・八と言われているが、現実にはもっと低かったのではないかと思われる。
 私は「大地震が発生したら大丈夫か」と何度も質問してきた。政府や東電は常に、「国の基準をクリアしている」「日本の土木工学は世界一だ」と、胸を張って言い続けてきた。今回、政府や東電は、「想定外」と御用学者に語らせているが、自然は常に人間の英知を上回るものだ。想定外では、人や国を守ることができるわけもない。」

index

現実とウソの報告。下「」引用。

「現実には、津波の前に地震によって、埋没されていたパイプ、原発内部のパイプなどがひび割れを起こし、メチャメチャになっていたのではないか。
 さらに、津波は防波堤を超え、緊急用発電機さえも使用不可能とした。そして、冷却材である水を送ることができなくなり、水素爆発を発生させた。だからこそ、政府も東電もウソで固めた報告に終始せざるをえなかったのであろう。」

生命軽視。下「」引用。

「その後も労働者たちは放射能の充満する現場へ向かわなくてはならないのに、命綱ともいうべきアラームメーター(セットした線量まで放射線が当たると警告を出す計器)や外部被曝計器の数が足りないからと労働者に持たせないばかりか、彼らに放射線管理手帳を渡さず、会社が一括管理して線量を勝手に記録していたケースなど、あきれるような対応ぶりが表面化しているが、人間の生命を軽視するにも程がある。」

“原発難民”……。下「」引用。

「住みなれた故郷を捨てざるを得なかった“原発難民”が福島県内をはじめ近県へ逃れて行く姿に、私は胸のしめつけられる思いにかられた。住みなれぬ土地への放浪の旅を続けなければならない現実に、東電も政府も明確な方針を示すことができず、“原発難民”の旅はいつ終わるともない悲劇になっている。
“原発難民”が放浪の旅を始めた三月二二日の早朝、私はさいたまアリーナで「ダンボール生活」を余儀なくされた一家七人を取材した。-略-」

「報道“原発労働者の被曝実態”」 下「」引用。

「一九七七年三月一七日を皮切りに、全国の新聞が楢崎弥之助氏(当時、社会党衆議院議員)の調査による“原爆労働者の被曝実態”を報道した。
 その報告は、「原発関係死亡下請け労働者内訳」として、事故死亡(業務上)三一人、放射線被曝死亡下請け労働(業務外)七五人、合計一○六人、そして、ガンや白血病死が増加しており、アフターケアを緊急に要するという内容で、原発内労働の恐怖をショッキングに報じていた。」

「権威をふりかざす東大教授」敦賀原発、岩佐嘉寿幸。下「」引用。

「東大の吉沢教授が私に対し、「私は今まで三○○人以上被曝者の診断をしている。失礼ですがよろしかったら、二、三質問させてください」と話しかけ、「最初の病状は、どのようでしたか」と尋ねられました。
-略-
 吉沢教授は「原電の管理医・田村医師が自分の教え子であり、今回は、指導とアドバイスに来た」とか説明をして、私の事故が現実なら、「君、責任を取って放射能の管理医をやめて町で開業医でもしなさい」と言うと、田村医師は「ハイ」と一言答えていました。
 後日、聞くところによると、この話が現実となり、それから間もなく、田村医師は原電を退職し、アメリカに行ったと、千葉大医学部に診察を受けに行った時、原電本社の人から聞きました。-略-
 「天下の東大の教授である」と自ら名乗った吉沢教授は、その後、私の被曝事故に関し、表に立つことはありませんでした。
 その日、そこで一労働しやの私に頭からかみつかれて、反論されたことがよほど頭にきたのか、さわらぬ神にたたりなしと思ってか、国会で論議され大きく社会問題となると予測したか、以後、吉沢教授の名前を耳にすることがありませんでした。そういったところは、さすが天下の東大教授だと思いました。」

「病院を変わらせようとする動き」 下「」引用。

「原電は千葉の放医研(放射線医学総合研究所)が日本最高の病院であり、熊取先生が放射線に関して最高の権威者であるから診てもらうようにと勧めてきました。放医研については人に聞いたり、自分で調べたりしましたが、犬や猫を実験材料にして研究しているが、総合病院ではなく、しかも政府関係の病院なので、私の病状がうやむやにされるのではないかという心配がありました。それに、たとえ立派な医師がいたとしても、熱意をもって病気の治療にあたるとは思えなかったので、その入院の話は断わりました。」

GE社の対応……。下「」引用。

「GE社に対しても、昭和四九年六月二○日、身体が悪かったのに上京し、労災の書類をお願いしたにもかかわらず、何の連絡も返事もありゃしませんでした。」

浜岡原発「放射能の溜池で足場を組む」 下「」引用。

「原発に行くようになったのは友人に誘われたからです。昭和五三年五月、中部電力の浜岡原発(静岡県)で原子炉の機械を据え付ける作業をしました。原発内部に入る時、そりゃものものしい格好で五○ミリレムにセットしたアラームメーターを持ち、四五ミリレムに達するとビービーと鳴り、最初の日はこんな恐ろしい所で働いていいのかと内心ビクビクしました。-略-」

index

長崎大医学部・岡島教授。「時間の経過によって検出されぬ放射能」 下「」引用。

「私は岡島教授に、「被曝したから約一時間経過したのだが、何の異常放射能も検出されないんですか」と質問した。
「体内に吸収された放射性物質も月日が経つにしたがって流れ出します。つまり、体内に必要な物質以外はどんどん排泄作用で出ていきます。しかし、出てしまえば体に異常がないということはないんです。そもかく、異常放射線をうけたら早く測定することです。早ければ正確に測定されます」と語ってくれた。
 約一年が経過した原さんの体内放射能は検出されずに終わった。彼が働いていた浜岡原発や福島原発での被曝量は正確にわからないが、永田さんが四、○○○ミリレムを浴びていたと証言したことを考えると、ほぼ同じくらいの被曝量に達するだろう。」

「放射線被曝が食中毒!」 下「」引用。

「半谷医院や田中医院に行き診てもらったとです。どちらも異常なしとか食中毒だとか、わしらの言うことには耳をかさず、適当に診断しとるんです。
 会社に文句を言ったら双葉厚生病院へ連れていってくれたんですが、結局同じことでしたばい。あとで診断書をくれと言ったとですが、そのまま無視してしまっとるんです。
 それで頭にきました。このままでは、殺されると思って九州に帰ってきました。」

「原発コンピューター神話」 下「」引用。

「原発がコンピューターで働くという神話は今もくずれていない。コンピューター室に坐り、テレビの画面をみて操作するエリート社員の姿が、下請け労働者が放射能汚染に悩まされながら働く姿を消していく。」

index

阪大病院、放射線科の重松医師(指定医)。
田代医師「ふたりの阪大の医師」 下「」引用。

「田代医師は重松医師の息のかかったところでは公正な診断が受けられないと、兵庫医大を紹介して下さいました。阪大の岡村先生に連れていってもらい診てもらったら、染色体の検査やいろいろな検査をしなくてはと言われたものですから、田代医師、岡村先生とわしの三人で原電に行ったのです。
 原電では資料はここにはないし、本社の了解なしに渡せないと突っぱねられ、原電のあまりの不誠実な態度に腹が立ちました。-略-」

「事故隠しのためには証人隠しも」

福島第一原発。下「」引用。

「福島第一原発の建設工事に出たのが最初だった。原発の試運転が昭和四五年九月に始まったので六月頃だったと思う。
 知り合いがビル代行の社員にするからと誘うんで行ったんだ。社員は、六、七人で、臨時労働者より日当が安く、一五○○円だった。昭和四七年の夏、辞めた時は二○○○円になっていた。-略-
 当時は汚染地域でも、ガーゼマスクだけで仕事をしている人がたくさんいたんだ。-略-」

「日立の労働者で被曝に苦しんでる人はいない」下「」引用。

「予想したとはいえ、電力会社のPRと全く同じである。組合事務所を後にし、駅に向かう途中、鈴木さんの自信に満ちた言葉と対照的な、同じ日立の一九歳の青年労働者の言葉を思い起こした。
 彼は敦賀原発定検中に原発内部で働いていた人で、私に次のように静かに語った。
「仕事を変わりたくても不況ですから、なかなか雇ってくるところがないでしょう。会社の言うことを聞くしかないんですよ。不安(被曝のこと)はありますが、働かなければ……」」

東大を頂点にする「裁判つぶし」 下「」引用。

「最初の一一人の原告団でスタートする予定であったが、いやがらせや圧力に屈して、大泉夫妻の二人だけとなった。かつて我が国初の原発被曝裁判を地裁から最高裁まで一七年間争った大阪の故・岩佐嘉寿幸さんの場合も、東大を頂点とした全国の権威主義者(大学教授中心)が寄ってたかって裁判つぶしに躍起となった。また、裁判を起こそうと動き出すや六○○万円で奥さんが抱き込まれて、裁判をつぶされた村居さんケースがある。その裏では、大学病院の教授や医師が「異常なし」のカルテを作成するたにあり、村居さんの場合は医師に一○○万円が渡ったという驚くべき現実すらある。国策による原発管理社会のドス暗い闇社会が浮き彫りされる。圧力やいやがらせによる裁判つぶしは当然といってよい。」

index










index

index

目 次



エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。