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続 慰安婦たちの太平洋戦争 正史になき女たちの戦記

2009年06月23日 | 読書日記など
『続 慰安婦たちの太平洋戦争 正史になき女たちの戦記』
   山田盟子・著/光人社1992年

幻の松代大本営にも慰安婦はいたという……。



「カバー写真=ビルマ戦線の慰安婦たち〈米公文書館蔵〉」

松本大本営……。下「」引用。

「この西松は、昭和十九年(一九四四年)十一月十一日、松代大本営の工事を、朝鮮人を連行して元請けをしたが、この松代にも慰安所があったし、そのことは後述することにしたい。
 特要員はいずれも浴衣スタイルだつたので、現地の姑娘たちに迷惑をかけなかったというが、その真実はわからない。(『海軍ひょうきん物語』青葉薫)」

ベトナム餓死者の数……。下「」引用。

「南京虐殺を上まわるこの餓死者について、日本側は三十万の発表であり、二百万はベトナム民主共和国が大戦後に発表したものである。」

どこが“海への疎開”なのか?……。下「」引用。

「昭和二十年が明けるころ、南アンダマン島では、“海への疎開”という言葉が使われだした。それは捕虜の死刑であった。食糧の負担は少しでも軽くするための人消しでもあった。何人かの捕虜を船に乗せ、海へすてることを毎日つづけた。栄養も充分でない彼らは、泳いで船にもどれず、死なねばならなかった。日本軍による海への捕虜投棄は、強者の特権のように平然とさなれた。」

やまと部隊……。下「」引用。

「かつて満州にいたとき、「やまと」の主人になにかとお世話になったという兵站の大佐が、その恩返しにとマレーにおける慰安所と旅館の権益をあげたという。
 伊豆のN町の「やまと」旅館が、やまと部隊という娘子軍を編成して、シンガポールに進出したことは、マレー軍政の暗黒にからむ利権問題として、在留邦人の非難を買った。やまと娘子軍は、やまと部隊旗なるものをかかげ、堂々と隊伍を組んでシンガポールに乗りこんだ。
 やまとの活動は、上陸後ただちにはじめられた。朝に夕に一城ずつ、シンガポールのホテル、料理屋、飲食店など、目ぼしいものはやまとの経営にのっとられていった。
 当時のシンガポール一の高層ビルであるキャセイも、やまとが入手しようとした。十三階のキャセイは、中央通りの行きづまった小高い丘に建っており、戦前、英国が極東の宣伝工作をおこないない、そのときは南方軍報道部が入っていた。」

徳川夢声の墓参……。下「」引用。

「夢声は、だまされて慰安婦におとしめられた女たちを哀れに思ったのだろう。その夢声が、シンガポールで日本人のからゆきの墓に行き、二葉亭四迷の墓参もした。一番奥の細長い自然石に、二葉亭四迷の「終焉之碑」があった。まわりに林立している小さな石碑は、ほとんどシンガポールで死んだ娘子軍の墓であった。」

松代大本営……。下「」引用。

「朝鮮人の大規模な強制連行、そして日本人職方のためには、慰安所の設置と慰安婦も画された。
 松代大本営設置について、労囚に加えて性囚までとりそろえて国体を守るということは、日本そのもののメカニズムがそっくり集約され、松代に持ちこまれたといえる。」







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