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父が子に教える昭和史-あの戦争36のなぜ?- 文春新書71

2009年09月23日 | 読書日記など
『父が子に教える昭和史-あの戦争36のなぜ?- 文春新書711』
   半藤一利、他・著/文芸春秋2009年

半藤一利の名があったので手にしました。
--いろんな人が書いています。



「7 ノモンハン事件 日ソ激突の真相は?」半藤一利・著。下「」引用。

「歴史から学ばない日本人
「-略-では、日本がこれから何を学んだか。たしかに停戦後に「ノモンハン事件研究委員会」が組織されたが、結論は落第点をつけるほかない。日本人はわずか二年後に対米英戦争に突入し、同じおやまちをくり返した。いや、関東軍の作戦参謀服部卓四郎、同辻政信に象徴されるエリートの、根拠なき自己過信、驕慢な無知、底知れない無責任、それらは今日にもあてはまる。いまのエリート官僚の裁量行政、情報独占、人事のルール(天下り)、主計の独占などをみると、日本人は過去から何も学ばないことを思い知らされる。」

「「ノモンハン症候群」の影」 下「」引用。

「さらに、「ノモンハン症候群」といえる影が、日本の指導者を蔽った事実も忘れてはならない。十五年夏、日独伊三国同盟とならんで日ソ不可侵条約の締結が、次期内閣の締結が、次期内閣の外交方針となり、構想はやがては日独伊ソ四国同盟にまで発展する。要すれば「北」には手を出すな、つぎは「南進」である。十六年夏から秋にかけて、対米英強硬論で参謀本部をリードした服部・辻のコンビが、羹(あつもの)にこりて膾(なます)を吹いたことは明らかである。
 サイパン陥落の直後(十九年七月)、作戦課長服部大佐がこう吐露したという。
「サイパンの戦闘でわが陸軍の悪いことが、ほんとうによく判ったが、今からとりかかってももう間に合わない」
 陸軍の武器や装備が時代遅れの劣悪であることは、ご本人が作戦指導したノモンハンの戦場で、骨髄に徹するほど認識したのではなかったのか。腰が抜けるほどガッカリする。」

「20 昭和天皇 戦争責任とは何か?」半藤一利・著。
無条件降伏とは、日本国軍には使われているが、国家ないし政府にたいしては要求されていないという……。

--その他の人たち。

高橋是清の孫が友達にいた池部良(俳優・エッセイスト)。
--撃たれて死んだ高橋是清。

永井隆について書かれてあった(「原爆投下 米国の戦争犯罪ではないのか?」常石敬一・著)。下「」引用。

「人間の想像力の極限を示しているのが長崎で被爆した医学者、永井隆ではないだろうか。永井は原爆症で一九五一年に四十三歳で亡くなっている。彼の妻は原爆に直撃されて死んでいた。永井は被爆一年後から病床にあり、自分の来るべき死を見つめながら『花咲く丘』(一九四九)を書いた。その中の次の一節がある。
「あの美しかった長崎を、こんな灰の丘に変えたのはだれか?--私達だ。おろかな戦争を引き起こした私たち自身なのだ……この浦上盆地いっぱいの大墓穴は原子が掘ったのではない。私達みずからの手で、軍艦マーチに合わせて掘った、私達の墓穴であった」」

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