磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ひばくのこころでシリーズ2 被爆者とともに

2008年02月21日 | 読書日記など
『ひばくのこころでシリーズ2 被爆者とともに』
   T. S(編)/町友会とともに生きる会1991年

「町友会とともに生きる会」は、町友会(町田市在住被爆者の会)を支援する会だそうです。



■目 次■

一 原爆ドーム (詩)
   -被爆四十五年によせて  浅野忠男
二 わたしの昭和史(その一)
   -軍国主義教育の系譜  田川時彦
三 被爆体験
   -命永らえて  飯田豊
四 原爆被爆体験記  中川美代子
五 被爆国民として  本間美智子
六 資料
   表紙の写真は沢田猛氏提供


こんな歌と踊りがあるとは知りませんでした。下「」引用。

「こんな農村にあっても、はっきり祖父母がわたしに教えた歌があります。
「ボクハ軍人大好キヨ、今ニ大キクナッタラ、勲章下ゲテ剣吊シテ、オ馬ニ乗ッテハイドウドウ」
 六○年近くたった今日でも、きちんと歌えて踊ることもできるのです。」

地獄絵の縮景園(泉庭)、他の人の証言と同様です。下「」引用。

「衣服は焼けて裸同然、毛髪も、皮膚も焼け爛れ、一見男女も見境も難しく、皮膚もだらりと垂れ下がっている。顔も大きく膨らみ、唇は二倍以上に腫れ上がっている。人間とも思えない風体である。漸くにして縮景園に着いたが、既に数百人とも思われる人に埋め尽くされていた。その殆どの人が途中で会ったと同じ風体であった。」

闘病苦と生活苦……。

被爆二世について。かなりきつい文章です。下「」引用。

「寝ているのかと静に部屋に入ると、妻が子供の傍らに座り呆然としている。見ると子供が口からぶくぶくと血の泡を吹いている。びっくりした私は血を拭いた。拭いても拭いても止まらない。止まるどころか、鼻、耳、目、臍、肛門と、穴という穴から出血し、医師が来たときは、既に手の施しようもなくその夜息をひきとった。全くあっとい云う間の出来事であり、放射能の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。」

二男と長女が生まれたという。下「」引用。

「記憶は定かでないが「ABCC」(米国放射線影響研究所)に数回連れて行かれた。自宅まで車で迎えに来て、数時間後に送って来る。然し親と云えども同伴は許されなかった。帰宅した子供には、其の都度、見たことも無いキャンディのお土産付だった。」

治療をしてくれるものとばかり思っていたが、原爆のモルモットとは知らなかったという。

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孫にも奇妙な痣(あざ)があったという。

朝日新聞1945年8月10日(金)。下「」引用。
「(8段目左・小見出し)「屋外防空壕に入れ-新型爆弾に勝つ途-」“敵が人道を無視して使用した新型爆弾に対し、防空総本部では9日対策」


町田市原爆被害者の会(町友会)編








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