磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ターニャの日記

2009年06月04日 | 読書日記など
『ターニャの日記』
   早乙女勝元・文/矢崎芳則・絵/日本図書センター2001年

草の根出版会 1987年刊の再刊。

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「第二次大戦の総死者数約五千万人の、実に五分の二が、ソビエトにおける生命の犠牲なのです。ちなみに申し上げるなら、これは同大戦下にアメリカとイギリスが失った人命合計のおよそ二○倍。日本が失った人命の、およそ七倍に当ります。とりわけドイツ軍の九○○日にも及ぶ包囲下のレニングラードにあっては、肉親のだれかを失わなかったような家はすくなく、戦争の悲しみと無縁な人はいなかったとさえいえるのです。「そんな深刻な犠牲を払ったわれわれが、どうして平和を望まぬわけがあるでしょうか」という声を、あちらこちらで、異口同音に耳をしました。「この声を、ぜひ日本のみなさんに届けてください」と。私は責任の重さを痛感しながら、レニングラードの一少女ターニャの身の上にピントをしぼって、本書をまとめました。」



--ターニャの星
ニコライさんは、小惑星を発見したという。下「」引用。

「ターニャ。
ソビエトでは、わりと多い女性の名前ですが、チェルヌイ夫妻の頭にひらめいたのは、ある特定の女の子で、第二次世界大戦下に死んだレニングラードの小学生ターニャのことです。ターニャ星は、いまも地球といっしょに、太陽の周囲を公転しています。」

ターニャは愛称……。下「」引用。

タチアナ・ニコラエブナ・サビチュワ
それが、ターニャ嬢の、ほんとうの名前です。
 タチアナが名で、サビチュワが姓になり、そのまんなかは父称(ふしょう)といって、父親の名が入るのが、ソビエトの習慣です。」

この時は、たった1枚……。下「」引用。

「さらに、生前のアンネの姿を伝える写真は、あの時代にもかかわらずたいへん豊富で、見る者がびっくりするほどですが、ターニャの面影といったら、私が日本で見ることのできた出版物では、これまでたった一枚しかありません。」

博物館訪問……。下「」引用。

「私たちを歓迎し、にこやかな顔でうなずいてくれたのは、ネヴァ川ぞいにあるレニングラード歴史博物館展示部長ポノマリョフさんです。
 ポノマリョフさんのお話ですと、同博物館は国内に三カ所の分館がありますが、当地のそれがセンターの役割を持ち、資料もいちばん豊富で、戦争を知らぬ世代の歴史教育の上でも、大きな意味があるといいます。
 センター館は、少していねいに見るとすれば、たっぷり一日がかりということで、レニングラード攻防戦にかぎってだけ、かけ足で見せてくださいとお願いしました。それでも、当時の市民生活をテーマにしたところだけで、なんと一三室もあるのだそうです。-略-」

説明してもらったという。下「」引用。

「それから彼女は、ターニャの日記全文の紹介とともに、展示写真のなかの、ターニャの家と、その家族を一人ずつ、名前をあげて説明しました。
 いまにも笑い出しそうな顔のターニャが、大勢のクラスメートたちと写した写真は、これは一九四○年だといいます。すると、十歳。日本で未発表の写真です。-略-」

その写真も掲載されていました。









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