磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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傷痕

2007年10月10日 | 読書日記など
『傷痕』
   広島県医師会1976年

広島というので、原爆関連ばかりかと思いましたが……。軍医の体験を書かれていることが多かったです。なかには、長崎医大の学生であった方も一人書かれておられます。



軍医について波多野克巳さんが書かれておられます。下「」引用。

「「軍医は軍人である前に、医師でなければならない。医師は医師である前に、人間でなければならいな。」
「戦艦は四年の歳月があれば出来る。巡洋艦であれば二年で出来るが、一人の壮丁を育てるには二十年の歳月がかかるのだ。」この壮丁の健康を守り、伝染病や性病を防ぐことが軍医の仕事であり、衛生科の任務であることを徹底することに努めた。」

だけど石井部隊に属していた医師もおられるわけです……。
--そういう方ばかりではなかったようですが……。

永井軍医についても書かれてありました。
--永井隆博士が、筆まめであることが、ここでも書かれてありました。

--石原莞爾中将のことが書かれてありました。
昭和16年4月、友人からの話。
当時の京都師団長の石原莞爾中将が、京都市公会堂で行った時局大講演会で。
会場の後方には憲兵が数人たっていたという。
1 日本は英米仏から圧力をかけられ、支那事変の完遂にも支障をきたし、我が国は窮地である。
2 日本の首脳は、重大な決意を固めつつある。
3 日米開戦はいずれ世界最終戦争として起きる。
4 近衛、東条などは日本をほろぼすことになろう……。
--非国民的軍人とされ、京都師団長を解任、中将は東北の故郷に隠棲。

昭和49年『ああ昭和二十年』「へっぽこ軍医回想記」東広島市 佐々木峻というのがありました。
これは手に入りそうにありませんね……。

人肉喰いについても書かれてありました。下「」引用。

「比島戦線で人肉をたべたというレポートは戦後如何なるマスコミでも報道されなかったと思う。人肉事件は比島でもこのサバ河流域だけの事件であったと思うのである。この人肉をたべた兵隊は殆ど死亡したが、中には我々と一緒に内地に帰還した者もいる。」


「長崎市の被爆体験」谷本博玄(当時・長崎医大学生)
--芋があるからと、にぎり飯をゆずってくれた友人は寮へ帰り、原爆で死亡。









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