磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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地図にない島へ

2009年08月07日 | 読書日記など
『地図にない島へ』
   武田英子・文/吉本宗・絵/農山漁村文化協会1990年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「瀬戸内海の小島が、“陸地測量部”の地図から消されていた。島全体が軍事機密だったのだ。なぜ?
子どもまでが、兵器製造に動員され、戦争への道にかりたてられた時代を二度ともらたしてはなりません。その願いをこめて、毒ガス島で働いた子どもたちの事実を伝えたいと思いました。」



休暇村へ家族で行くミキ……。下「」引用。

「瀬戸内海国立公園 国民休暇村大久野島。
島ひとつ、全島が国民休暇村になっていた。」

その島には碑がある……。下「」引用。

「おばあちゃんが石碑の文字を読みあげた。
「大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑。昭和六○年に大ぜいの協力で建立されたんよ。」
 ミキには、毒ガスの字がぶきみだった。まえに新聞で、「イラン・イラク戦争で毒ガス症」という記事を見た。-略-」

戦中、防毒面は子どものサイズでなく、顔にあわず、効果なし。下「」引用。
「緊急時というのは、空襲されたときのことだろう。なにかの事故で、毒ガスがもれだすこともあるだろう。毒ガスは防毒面でないとふせげないと、いま、わかったのに、わたされた防毒面が役に立たないとは、あんまりだ。-略-」

風船爆弾の作業にも従事したという。下「」引用。

「ある日、帰りの船に沢井中尉が乗り合わせた。
「風船爆弾の朗報を伝えよう。」と、みんなを見回した。-略-
「風前爆弾はアメリカ本土に空襲し、各州に火災を起こさせている。爆発により数名のアメリカ人が死んだ。喜ぶべき戦果である。」
 船のなかに拍手がわいたが、さなえは、あんなに苦労してたったの数人か、と思った。
 民子も小声で、「なーんじゃ。数人だけか。」といった。それきり風船爆弾の戦果は新聞にものらず、いつもニュースを流す、控室の拡声器からも、なんの放送もなかった。」

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広島、原爆投下当日。下「」引用。

「八月六日の朝。さなえたちが大久野島の長浦さん橋に着いて、歩きだしたときだった。
 なにげなく、さなえが空を見あげたとき、ぱあっと強い光が走った。なにが起きるのかとギクリとして立ち止まったが、空はまっさおに晴れたまま、しーんとしていた。-略-」

広島へ。下「」引用。

「六日の午後、救護班は広島に着いたが、そこにあったはずの町々も橋も、めちゃくちゃにこわれ、市内に炎に包まれていた。御幸橋ぎわに開設された救護所に入り、続々とやってくる碑とたちの治療をした。六日、七日と夜どおし救護に当たり、八日にの朝にやって千田町に入った。焼かれずに残っていた雪江の家をさがし当てた。-略-」

七三一部隊と五一六部隊……。下「」引用。

「五一六部隊で毒ガスの実験研究に当たっていた軍医たちは、命令によって満州第七三一部隊に出向し共同の実験を行っていた。-略-」









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