『放射能汚染が未来世代に及ぼすもの-「科学」を問い、脱原発の思想を紡ぐ 女性の視点によるチェルノブイリ25年研究-』
綿貫礼子・編/吉田由布子、二神淑子、リュドミラ・サァキャン・著/新評論出版2012年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「15歳の少女たちへ
「最後に付け加えたいことがあります。あなたたちが大学生の年齢に達したとき、もう一度この本を、今後の生き方のひとつの道しるべとして読んでください。15歳のあなたたちの今後の生き方にエールを送ります。」
(「残しておきたい言葉」本書197頁より)
本書はチェルノブイリの未来世代への放射線健康影響について、女性の視点で研究を重ね、フクシマ事故の起きたその年にたどり着いたひとつの「仮説」を紹介する。原発事故による子どもたちの健康影響はなぜ世界に正しく伝わらないのか。「国際原子力村」の科学者たちによる健康影響過小評価の歴史を検証し、今日の科学文明の意味を問う。」
カバー画 マリア・プリマチェンコ。 下「」引用。
「1908-97。ウクライナの民族芸術家。動植物やウクライナの民間伝承を主題とした絵画で著名。チェルノブイリ原発から45キロメートルの所に住んでいた。事故後、放射能除けに麦わら帽子をかぶった仔牛や、ツノやヒズメを隠す牛など、風刺に富んだ絵を描いた。」
会議と歴史……。下「」引用。
「一九八六年のチェルノブイリ事故からちょうど四半世紀となる二○一一年、ウクライナ政府は四月二六日の事故発生日を記念し、IAEA(国際原子力機関)やWHO(世界保健機関)などの国連諸機関の支援のもと、ベラルーシ、ロシア両政府とともに早くから精力的にチェルノブイリ二五周年の「国際科学会議」を準備していた。しかし世界の原子力発電をめぐる歴史は、この年の三月一一日に起こった日本列島東北地方の福島第一原発の事故によって一変したと言っても過言ではないだろう。ウクライナの首都キエフでは四月一九日から二二日の間に三つの国際会議が開かれた。現在チェルノブイリの事故炉を覆っている「石棺」の劣化に伴い、それをさらに覆う新しいシェルター建設のための「支援国会議」、キエフ「原子力安全サミット」、そして私たちが参加した「国際科学会議」(二○~二二日)である。-略-」
本書は……。下「」引用。
「本書は、その三・一一より三年前の二○○八年三月五日(この日は私の八○回目の誕生日であった)から書きはじめていてたものである。私はこの数十年、世界の汚染地帯(化学物質による)に足を運び、汚染の発生時点ではまだ誕生していなかった「未来世代」の生命と健康の問題をサイエンス・ライターの立場で研究してきた。チェルノブイリに関しては事故後数年の間情報が閉ざされていたが、一九九○年に七人という少人数の科学者グループで旧ソ連の汚染現地を訪問することになり、その一員として参加した。」
女性ネットワーク。下「」引用。
「汚染の大地に立ち、子どもの健康を心配する母親たちの声を聞いたとき、すぐに女性たちによるネットワークを創ることを発想した。その呼びかけは女から女へとつながり、たちまち百数十人で「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク(以下「女性ネットワーク」と略す)を立ち上げ、子どもたちへの医薬品支援を緊急の課題としながら、同時に独自の子ども健康研究を開始した。それ以来、現地の母親、医学者、研究者とのネットワークを紡ぎながら二○数年研究を続けてきた。」
福島原発事故……。下「」引用。
「そして私は、八○代に入る日を期に、これまでの仕事を科学史的に総括したいとて悠然と書き出しはじめていたのである。『チェルノブイリ研究から核なき世界を防ぐ』と題して。しかし、二○一一年三月一一日のフクシマ原発惨事に、私は言葉に言い尽くせぬほどの衝撃を受け、筆を持つ余裕すらなくすほどの忸怩たる想いを抱いた。もはや悠然としているときではないのだと。」
外国と差異。下「」引用。
「多くのチェルノブイリ事故当時の旧友からであり、そのうち同時通訳をしている友人は、「外国の報道も一緒に見てほしい」と言ってきた。「なぜ?」と聞き返すと、「日本では、大変なことが“起こるかもしれない”と言うけれど、外国では大変なことが“起こった”と言っている。verb(動詞)が違う」と言うのである。周知の通り、一カ月後、事故の規模は国際原子力事象評価尺度でチェルノブイリと同じレベル7であることを日本政府も認めるに至った。」
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洗脳する科学技術体制……(イギリスの科学史家・ジェロム・ラベッツ)。下「」引用。
「「公衆が一般に公害に無知なのは、現象の本質を見通せないからというのではなくて、ある種の問題だけを特に無視しようとする(国家や科学の体制の中で行われる)社会的決定によるものであるむ。[中略]われわれの科学技術体制は、昔、神学的権威が洗脳したり禁止したりする否定的手段でやったのと同じやり方で、公衆の公害に対する感度をつくっているのである」。」
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長瀧とセシウム。下「」引用。
「今も土壌汚染の最大の原因となっている長寿命の放射性セシウム137(半減期三○年)の影響については、公式には認められていない。たとえば元広島放射線影響研究所(放影研)理事長で長崎大学名誉教授の長瀧重信氏はフクシマ後の二○一一年九月、「一二万人のセシウム内部被爆の子供に健康被害はなかった」と題する『週刊新潮』二○一一年九月一日号のインタビュー記事で、「一九八六年の事故から二五年が経った今、セシウムによる健康被害は未だに認められていません」と述べている。」
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「ポスト・チェルノブイリ世代--「健康でない子どもたち」の継続的増加」
「IAEAとWHOのおかしな関係」 下「」引用。
「しかし、この関係は、その後さらに進展したようである。二○一一年九月一八日の『毎日新聞』の記事によると、WHOは一九八八年には原発事故の際にIAEAが対応の先頭に立つことを明記するなどした新たな二つの条約(一九八六年の「原子力事故早期通報・援助二条約」。WHOは八八年批准)をIAEAと締結、二○○五年には科学物質・放射性物質で汚染された食品の輸入問題でもIAEA主導が追加されたという。そして二○○九年には、ついにWHOから放射線の健康被害に関する専門部局を廃止し、財政難を理由に今後も復活する予定はないという。「国際原子力村」の中にあったWHOは、いまや放射線の健康影響に関わることすら封じられたということだろうか。」
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小児甲状腺ガン。下「」引用。
「小児甲状腺ガンがこれほどまでに増加することを予測した人は一人もいなかったというのが現実である。しかもそうした楽観主義的予測が誤りだったことについては誰からも何の釈明もない。」
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「補遺 綿貫礼子さんを悼んで」 下「」引用。
「-略-本書はほんとうに彼女の「遺しておきたい言葉」となった。海外からも彼女への追悼の言葉が寄せられている。彼女の意志の強さにはとてもかなわないけれど、私たちは研究を引き継ぎ、フクシマとチェルノブイリを結びながら、子どもたちに健康上のリスクを負わせない世界を創りだすために努力していきたいと思う。
綿貫礼子さんのご冥福を心から祈ります。
二○一二年二月六日
吉田由布子、二神淑子」
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目 次
綿貫礼子・編/吉田由布子、二神淑子、リュドミラ・サァキャン・著/新評論出版2012年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「15歳の少女たちへ
「最後に付け加えたいことがあります。あなたたちが大学生の年齢に達したとき、もう一度この本を、今後の生き方のひとつの道しるべとして読んでください。15歳のあなたたちの今後の生き方にエールを送ります。」
(「残しておきたい言葉」本書197頁より)
本書はチェルノブイリの未来世代への放射線健康影響について、女性の視点で研究を重ね、フクシマ事故の起きたその年にたどり着いたひとつの「仮説」を紹介する。原発事故による子どもたちの健康影響はなぜ世界に正しく伝わらないのか。「国際原子力村」の科学者たちによる健康影響過小評価の歴史を検証し、今日の科学文明の意味を問う。」
カバー画 マリア・プリマチェンコ。 下「」引用。
「1908-97。ウクライナの民族芸術家。動植物やウクライナの民間伝承を主題とした絵画で著名。チェルノブイリ原発から45キロメートルの所に住んでいた。事故後、放射能除けに麦わら帽子をかぶった仔牛や、ツノやヒズメを隠す牛など、風刺に富んだ絵を描いた。」
会議と歴史……。下「」引用。
「一九八六年のチェルノブイリ事故からちょうど四半世紀となる二○一一年、ウクライナ政府は四月二六日の事故発生日を記念し、IAEA(国際原子力機関)やWHO(世界保健機関)などの国連諸機関の支援のもと、ベラルーシ、ロシア両政府とともに早くから精力的にチェルノブイリ二五周年の「国際科学会議」を準備していた。しかし世界の原子力発電をめぐる歴史は、この年の三月一一日に起こった日本列島東北地方の福島第一原発の事故によって一変したと言っても過言ではないだろう。ウクライナの首都キエフでは四月一九日から二二日の間に三つの国際会議が開かれた。現在チェルノブイリの事故炉を覆っている「石棺」の劣化に伴い、それをさらに覆う新しいシェルター建設のための「支援国会議」、キエフ「原子力安全サミット」、そして私たちが参加した「国際科学会議」(二○~二二日)である。-略-」
本書は……。下「」引用。
「本書は、その三・一一より三年前の二○○八年三月五日(この日は私の八○回目の誕生日であった)から書きはじめていてたものである。私はこの数十年、世界の汚染地帯(化学物質による)に足を運び、汚染の発生時点ではまだ誕生していなかった「未来世代」の生命と健康の問題をサイエンス・ライターの立場で研究してきた。チェルノブイリに関しては事故後数年の間情報が閉ざされていたが、一九九○年に七人という少人数の科学者グループで旧ソ連の汚染現地を訪問することになり、その一員として参加した。」
女性ネットワーク。下「」引用。
「汚染の大地に立ち、子どもの健康を心配する母親たちの声を聞いたとき、すぐに女性たちによるネットワークを創ることを発想した。その呼びかけは女から女へとつながり、たちまち百数十人で「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク(以下「女性ネットワーク」と略す)を立ち上げ、子どもたちへの医薬品支援を緊急の課題としながら、同時に独自の子ども健康研究を開始した。それ以来、現地の母親、医学者、研究者とのネットワークを紡ぎながら二○数年研究を続けてきた。」
福島原発事故……。下「」引用。
「そして私は、八○代に入る日を期に、これまでの仕事を科学史的に総括したいとて悠然と書き出しはじめていたのである。『チェルノブイリ研究から核なき世界を防ぐ』と題して。しかし、二○一一年三月一一日のフクシマ原発惨事に、私は言葉に言い尽くせぬほどの衝撃を受け、筆を持つ余裕すらなくすほどの忸怩たる想いを抱いた。もはや悠然としているときではないのだと。」
外国と差異。下「」引用。
「多くのチェルノブイリ事故当時の旧友からであり、そのうち同時通訳をしている友人は、「外国の報道も一緒に見てほしい」と言ってきた。「なぜ?」と聞き返すと、「日本では、大変なことが“起こるかもしれない”と言うけれど、外国では大変なことが“起こった”と言っている。verb(動詞)が違う」と言うのである。周知の通り、一カ月後、事故の規模は国際原子力事象評価尺度でチェルノブイリと同じレベル7であることを日本政府も認めるに至った。」
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洗脳する科学技術体制……(イギリスの科学史家・ジェロム・ラベッツ)。下「」引用。
「「公衆が一般に公害に無知なのは、現象の本質を見通せないからというのではなくて、ある種の問題だけを特に無視しようとする(国家や科学の体制の中で行われる)社会的決定によるものであるむ。[中略]われわれの科学技術体制は、昔、神学的権威が洗脳したり禁止したりする否定的手段でやったのと同じやり方で、公衆の公害に対する感度をつくっているのである」。」
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長瀧とセシウム。下「」引用。
「今も土壌汚染の最大の原因となっている長寿命の放射性セシウム137(半減期三○年)の影響については、公式には認められていない。たとえば元広島放射線影響研究所(放影研)理事長で長崎大学名誉教授の長瀧重信氏はフクシマ後の二○一一年九月、「一二万人のセシウム内部被爆の子供に健康被害はなかった」と題する『週刊新潮』二○一一年九月一日号のインタビュー記事で、「一九八六年の事故から二五年が経った今、セシウムによる健康被害は未だに認められていません」と述べている。」
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「ポスト・チェルノブイリ世代--「健康でない子どもたち」の継続的増加」
「IAEAとWHOのおかしな関係」 下「」引用。
「しかし、この関係は、その後さらに進展したようである。二○一一年九月一八日の『毎日新聞』の記事によると、WHOは一九八八年には原発事故の際にIAEAが対応の先頭に立つことを明記するなどした新たな二つの条約(一九八六年の「原子力事故早期通報・援助二条約」。WHOは八八年批准)をIAEAと締結、二○○五年には科学物質・放射性物質で汚染された食品の輸入問題でもIAEA主導が追加されたという。そして二○○九年には、ついにWHOから放射線の健康被害に関する専門部局を廃止し、財政難を理由に今後も復活する予定はないという。「国際原子力村」の中にあったWHOは、いまや放射線の健康影響に関わることすら封じられたということだろうか。」
INDEX
小児甲状腺ガン。下「」引用。
「小児甲状腺ガンがこれほどまでに増加することを予測した人は一人もいなかったというのが現実である。しかもそうした楽観主義的予測が誤りだったことについては誰からも何の釈明もない。」
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「補遺 綿貫礼子さんを悼んで」 下「」引用。
「-略-本書はほんとうに彼女の「遺しておきたい言葉」となった。海外からも彼女への追悼の言葉が寄せられている。彼女の意志の強さにはとてもかなわないけれど、私たちは研究を引き継ぎ、フクシマとチェルノブイリを結びながら、子どもたちに健康上のリスクを負わせない世界を創りだすために努力していきたいと思う。
綿貫礼子さんのご冥福を心から祈ります。
二○一二年二月六日
吉田由布子、二神淑子」
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