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台湾統治と阿片問題 近代日本研究双書

2010年10月17日 | 読書日記など
『台湾統治と阿片問題 近代日本研究双書』
   劉明修・著/山川出版社1983年

「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「阿片は万病の霊薬であり、また万悪の根源でもある。人類の習慣性嗜好品の中で、阿片ほど忌わしいものはない。一六世紀以後ヨーロッパの諸国は、あいついで東南アジアの地域に植民地を領有した。その植民地経営の過程において、阿片は専売商品として財政上極めて重要な役割を果たした。それゆえに、東南アジアの諸地域はことごとく阿片の惨禍をこうむり、今日でもなお、その禍根を残している地域さえある。本書が取り上げる台湾の阿片禍は、その中でも最もはなはだしいものであった。
 日清戦争の結果、日本ははじめての植民地台湾を領有した。植民地統治の経験をもたなかった日本政府が最初に直面した難題は、台湾人の武力抵抗と阿片吸食の問題であった。-略-」



後藤新平。下「」引用。

「後藤新平の阿片漸禁政策は、その「生物学的植民地経営の原則」に基づくものであり、急激な禁断を「生物学的」配慮の下にしりぞけるとともに、非禁輸を排除して、「斬進的同化政策」を日本の台湾経営の基本政策となす役割を果たした。」

イスラム教徒がはじめた。下「」引用。

「本来阿片は医薬用にのみ使用されたが、これを嗜好品として用いたのが、イスラム教徒によってはじめられたと伝えられている。イスラム教徒はアルコール分の飲用が教律で厳しく禁じられていたため、早くから阿片を代用品として使用してきた。はじめの頃は阿片をハチミツまたは香料に混ぜて丸薬のようにし、湯に溶かして飲用したり、阿片をそのまま呑食(Opium-eatine)したりした。」

華僑から伝わる。下「」引用。

「阿片を嗜好品として呑食する悪習は漸次ペルシャやトルコなどに伝わり、大航海時代にはオランダの貿易商人によってオランダの植民地ジャワに伝わった。ジャワにおいて、中国から出稼人--今日の華僑--が阿片に煙草を混ぜてキセルで吸食するようにした。これが阿片吸食(Opium-smoking)のはじまりである。この阿片吸食は中国人または漢民族の好みにあい、後述のように大変な勢いでジャワから北上し、たちまち中国の南部や台湾に伝わったのである。」

財政をまかなう。下「」引用。

「阿片戦争以後、中国は日光にさらされたミイラのごとく、内外とも急速に崩れ落ちていく。この崩壊の過程に際して、もともと「化外の地」「化外の民」といわれた台湾における統治秩序は、ますます乱れていった。かかる状況では、阿片吸食の禁断を実行するどころではなく、第2表のごとく、むしろイギリス人に任せていた関税からの阿片収入で、台湾の財政をまかなうというのが実情であった。ことに一八八七(光諸一三)年以後、台湾の財政は、阿片収入なくしては一日も成り立たないといってよいほど、阿片からの収入に全面的に依存していたのである。」

ハリスの警告、江戸幕府。下「」引用。

「一八五七(安政四)年一二月一二日、アメリカ合衆国の初代中日領事ハリスは、老中堀田正睦との会見において、中国の阿片戦争の例を引用して開国の必要を説き、また中国の一連の敗戦は要するに阿片を原因として起ったものであり、イギリスは日本に対しても、中国同様に阿片を持ち込もうとする意図があると、次のようなショッキングな警告をした。-略-」

ハルトレー事件

マラリア。下「」引用。

「日本の台湾に対する準備や認識の欠如は、日本が台湾での二度にわたる軍事行動の際、いずれもマラリアに悩まされたことからも説明できる。一八七四(明治七)年の台湾出兵の時、山岳部隊の戦死者はわずかに一二人なのに、マラリアを中心とする病死者は五六一人に達していた。このマラリアによる大量死の教訓は、二○年後の台湾領有に伴なう軍事行動に際しても、まったく活用されなかった。一八九五(明治二八)年の台湾の役において、戦死者はわずかに一六四人、負傷者は五一五人に過ぎなかったが、病死者は四六四二人に達し、患者は二万六○九四人という惨状を呈したのである。」

オランダも販売。下「」引用。

「オランダ領インドは、一六七六年に阿片の販売を東インド会社の専売とした。一七四三年五月、ファン・イムホフ(Gustaaf W.Baron Van Inhoff)が総督に着任し、会社の独占貿易を緩和する施策として、阿片貿易を会社から免許を受けた「阿片協会」という私的企業に許可した。」

イギリス船も。下「」引用。

「イギリスの阿片運搬船セールス(Thales)号とファルモサ(Formosa)号は、二月二三日以後も阿片を台湾に輸送した。-略-」

ドイツの商人。下「」引用。

「ドイツ領事の書簡を受取った総督府は、ただちに杉村外事課長を派遣し、同領事に「議論的交渉を巳め、穏便に相談」することを申し入れ、同領事もこれを受け入れた。いわゆる「穏便に相談」とは、総督府がドイツの阿片商人が外国において契約済の阿片六○箱を時価プラス必要経費で買上げることであり、同年七月二七日、同領事が水野局長に、「マンヒ商社阿片損害ニ関スル件申出候処其後該社ヨリノ報告ニヨリ公然ノ手続ニ因ラスシテ該件円満ニ落着到趣承知仕リ……」と通告したことにより、一応の解決をみたのである。」

阿片専売制度の創設。下「」引用。

「翌月総督府は阿片専売制度の創設とその他の衛生行政のため、後藤新平を総督府衛生顧問に嘱託し、同年(*1893年)下半期すなわち一○月一日を期し、阿片専売制度実施の準備を進めた。同年度の歳入予算にはかなりの阿片収入を計上していたと伝えられている。」

ハーグ国際阿片条約は、効果を完全にあげることはできなかった。

青島に輸出。下「」引用。

「中国の阿片「十年禁断計画」は、革命でうやむやになったが、日本は、第一次世界大戦中とその後、数年にわたって青島を占領し、台湾総督府の阿片煙膏製造の過剰設備を利用して、青島に阿片煙膏を輸出した。中国はこの正式な輸出とその後の民間人の密輸出とを、阿片禁断計画失敗の原因であると、幾度も日本政府に抗議したことがある。」

「如水社」 下「」引用。

「総督府が最も困惑したかは、「如水社」の反対声明である。如水社は台北に事務所をおく中産階級以上のインテリが中心となって組織された社交クラブであり、その会員は台湾各地に散在し、その影響力は究めて大きかった。従来総督府は政策決定をするにあたって、そのメンバーの感情と利益を考慮してきたが、阿片吸食特許の問題で、如水社が台湾民衆党の運動と同調したことは、総督府の大きな痛手となった。」

更生院。下「」引用。

「更生院における杜教授が開発した医療技術で、今日でもなお人類に貢献しつづけているものは、尿中モルヒネの測定法である。」

矯正事業。下「」引用。

「一九四二(昭和一七)年四月に発足を予定された第三期の矯正事業は、すでに一九四一年の五月に必要な準備を終えていた。しかし、事業がスタートする前に太平洋戦争が起り、総督府は急遽更生院のベッドを五○から一○○に増し、入院定員を倍増した。-略-」








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