磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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地震と原発今からの危機-激トーク・オン・デマンド特別編-

2011年08月19日 | 読書日記など
『地震と原発今からの危機-激トーク・オン・デマンド特別編-』
   神保哲生、他・著/扶桑社2011年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「◆子どもたちの自主判断が人々を津波から救った
◆地震活動期に入った日本と「フクシマ再来」の可能性
◆原発事故--あえて「最悪のシナリオ」を考える
◆報じられない「内部被曝」というリスク
◆内側から見た、与野党「原子力利権」の鉄壁」



マル激」から……。下「」引用。

「そのビデオニュース・ドットコムに「マル激トーク・オン・ディマンド」、通称「マル激」という番組がある。私・神保哲生と社会学者の宮台真司さんが、毎週ひとつのテーマを設けて専門家や当事者をお呼びして、議論するという番組だ。本書は「マル激」と、その他のビデオニュース・ドットコムが放送した番組の中から地震、津波、原発について取り上げた回を抜粋し、加筆・修正したものだ。」

「原発について合理的な議論ができない不毛」 下「」引用。

「ただ、日本の場合、一般の市民が政策決定に参加するためのハードルが、意図的に高く設定されているのも事実だ。選挙に行きたくても忙しくて行けなかったり、行くだけムダだと思って行かない人もいるだろう。デモなんか行ったら周りから白い眼で見られるとか、原発反対などと言おうものなら職場の人間関係をこじらせるかもしれないとか、有識者ならテレビに出演させてもらえなくなるとか、いろいろな障害がある。
 また、政策決定について、われわれ全員の責任だと言い切れない面もある。なぜなら、メディアが本来の役割を果たしていなかったからだ。
 スポンサーを批判できず、記者クラブ体制のもとで政府を批判できないマスメディアは、今回の震災で、その機能不全ぶりをさらけだした。」

「自然を相手に本来「想定」などできない」

「情報がない中で」小出裕章・京大助教。下「」引用。

「いまは非常に限られた情報しかない中で、危険を予測しなければいけないわけです。予測をするときは、情報次第で、極めて悲観的な予測もできるし、楽観的な予測もできるんですね。もし防災ということを考えるのであれば、悲観的な予測をしたほうがいいかと思います。あとで「これは考えすぎだったな」と思ったほうがいいと思います。情報がない中で「安全だ」「安心だ」「大丈夫だ」というのは正しい態度とは思えません。」

ドキュメンタリー「京大原子炉実験所、異端の研究者たち」 下「」引用。

「青木 僕ね、3年ほど前に、大阪の毎日放送がつくった小出先生たちのドキュメンタリーを見たんですよ「京大原子炉実験所、異端の研究者たち」と題した非常にすぐれた作品でした。番組自体が声高に原発反対を叫ぶものではなく、きわめて抑えたトーンで、“熊取6人衆”を紹介する内容だったんです。
 ところが放送後に、関西電力がこの番組にかみついて、毎日放送の全番組から広告を引き上げると脅したらしいんです。その上、毎日放送の幹部に「原発はいかに安全か」という“講習”を受けろと迫ってきたと聞いています。唖然とするような話です。」




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「報道された内部被曝の危険性」

当時0歳だった方が……(ヒロシマ・ナガサキ)。下「」引用。

「要するに、当時ゼロ歳だった方が、いま65歳とかになって、次々とがんになっているというデータなんですね。」

ドイツより広い日本! 下「」引用。

「日本の国土は小さいようで大きいんですよ。ドイツよりも二回り広いんです。環境省が2009年、2010年と調査をやっているんですけれども、海上を含めると、北海道だけの風力発電で日本の電力がカバーできるぐらいはあるという評価も出ています。自然エネルギーはどんどん性能が上がっていくので、調査をすればするほど、より狭い土地でより多くの電力が発電できるという実績があるんですよ。」

「数十兆円の税金をドブに捨てる与野党“原子力利権”の鉄壁」

「日本は「予防原則」を政策に取り入れていない」
--環境問題を勉強したら、必ずとるだろう基本というか基礎でしょうに……。

「不安を煽ったのは「大丈夫」報道のほうだ」
「つまり不安を煽ったのは、根拠のない「大丈夫」報道のほうなのだ。」

ツィッターやブログで……。下「」引用。

「ツィッターやブログで「煽るのか」「不安にさせるのか」とイキり立つ遣り取りを見るたびに、自己維持のためのメタゲームの浅ましさ、陣営帰属&誹謗中傷の浅ましさ、人間関係資本の乏しさゆえの認知的整合化の浅ましさ、総じて不幸な人々の浅ましさを感じて悲しかった。-略-
 総じて僕らは、コンビニエンス(便利)やアメニティ(快適)をハピネス(幸福)と取り違えてきた。更に深い水準ではハピネス(幸福)とウェルビーイング(存在の取替不可能)を混同してきた。だからエネルギーを馬鹿食いする高いGDP社会で、不幸な人々ばかりになった。
 非常時が訪れ、快適さも便利さも失われたとき、つまりシステムに依存できなくなって初めて、「幸せとはなにか」「どう生きるのが良いのか」という、幸福の存在の取替不可能に関わる本当の問いを僕らは突きつけられる。問いに答えるための議論の厚みを手にする段である。」







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