磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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加害基地宇品 新しいヒロシマ学習

2008年05月16日 | 読書日記など
『加害基地宇品 新しいヒロシマ学習』
   空辰男・著/汐文社1994年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「日清戦争100周年によせて
ヒロシマの平和教育第一人者の労作
日清戦争から1945年まで加害基地の役割を果たした宇品の軍港史、そして原爆被害二つの顔の結合点を探る
アジアを手を結ぶヒロシマへ」



この本が出版された年には、広島市で第十二回アジア競技大会が開催。
--アジアの一員として加害を考える……。

軍都になぜ広島がなったか? 下「」引用。

「端的にいって二つの理由があります。一つは鉄道が東海・山陽と広島市まで延びてきたこと。当時陸軍は六師団中、熊本以外の東京・仙台・名古屋、大阪・広島の各師団はこの鉄道で広島市に集められたのです。そして二つは、その各師団を朝鮮、中国に輸送する港の条件が広島市の南端“宇品”にあったからです。」

市民生活までが天皇直下となったという。下「」引用。

「一八九四年八月一日、清国への宣戦布告、九月十五日広島市へ大本営移設、明治天皇来広、十月五日広島市と宇品港域に「臨戦地境宣言」及び「戒厳令」が施行され、行政・学校・病院・交通等機関をはじめ市民生活まで天皇直下に入れられました。このことから“軍都広島”“軍港宇品”という呼称が生まれたといいます。」

救援部隊も大変なことだったろう……。下「」引用。

「中には宇品に上陸したものの、この世のものとは思われぬ姿の負傷者や死人を見て、顔面蒼白となり、失神して仕事にならず、ふたたび幸ノ浦にかえされる少年兵士も何人かいたと記録されています。
「斉藤部隊」は千田町三丁目の広島電鉄本社の建物を指揮所と定め、その夜徹夜で消火活動や救助活動につとめています。こうして交替をくりかえし、八月十二日まで活動を続けているのです。」

差別主義のアメリカを模範にした日本。下「」引用。

「一八七六年(明治九年)江華島事件から結ばれた「日朝修好条約」にあります。この条約は一八五八年の日米通商条約と同じように不平等なものでした。つまり、日米通商条約では日本側が貿易などでアメリカに対し不利になっていましたが(関税自主権がないなど)日本はそれを今度は朝鮮側におしつけたのです。」

--1895年、正岡子規が従軍記者として中国に派遣。
宇品港に建ちより、20日間余り広島に滞在。
軍船海城丸で大陸にわたり、まもなく血をはき、引き返し病床に。

「凱旋碑(がいせんひ)が平和碑になり得るか」というタイトルがあった。


年表巻末にありました。下「」引用。

「紀元前一、○○○頃 (神話) 伝説・海道東征大和征服(古事記)・途中・府中埃宮に立ち寄り軍船をととのえる。(神話)」

神話の時代から書かれてありました。


昔の人たちは、学問が人の上にたつものだと思っていた人たちもいる。

しかし、平和教育の場合は、学問といえども、上に立つものであってほしくはない。

学問も一つの道具にしかすぎない。

その道具をどう使うが問題。

神聖なものなどにすると、困ったことになる……。

平和教育は差別を許さないものであってほしい……。

--「戦争は究極の差別」







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