磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

追悼記 増補

2008年10月01日 | 読書日記など
『追悼記 増補』
   小野文子、他・著/広島女子高等師範学校附属山中高等
      女学校原爆死没者追悼文集編集委員会1993年

今では広島大学になると思います……。下「」引用。

「新制度の広島大学に包括または合併せられた旧制度の諸学校は、それぞれ古い歴史をもち、或は特殊の沿革を有するのであるが、とりわけ広島女子高等師範学校は昭和二十年、山中高等女学校が国に寄附せられ、その諸施設を基礎として設立されたのであって、その間、広島大学が山中高等女学校に対して有する因縁経緯には特別のものがある。」



混乱の中での記録。下「」引用。

「二時間くらいかけて帳簿を繰っていると、遺族から届け出情報と異なるものや、新たに判明した情報も含め、附属山中高女生徒の氏名が二十余見だされた。
 この度、今中さんの調査に行き、再調査の必要を感じたのが、この調査のきっかけである。」

そして確認作業で、不確実に……。下「」引用。
「一年二組田原茂子さんはこれまで行方不明となっていたが、この度の調査で東警察署検死調書綴その四に、富士見町付近の道路で死亡と記載されており、判明したと一時は喜んだが、「原爆と母たち」に投稿しておられる母 ウメノ様の記事を読み、ご遺族の姉 阿部美津子様とお話ししていると、この情報は不確実となった。」

そして、遺族も歳をとる……。下「」引用。

「早速に返事をと思いつつも、現在眼病(白内障)にて、白い紙に文字を書くのがとても不自由で、それに皆さんのように小さい文字は見えなくて。
 私も八十五才の老人になり、心身不自由で病院通いが日課になっております。」

スイスの人と結婚した元生徒の子どもが書く。下「」引用。

「私はスイス人ですが、母は広島出身で昭和二十年に広島女高師附属山中高女の生徒でした。幸いに昭和二十年七月に家族といっしょに田舎に疎開し、原爆には遭いませんでした。」

その子は留学生として広島へ。下「」引用。

「今年の春にようやく母の故郷、広島に来ることができて、現在広島大学の留学研究生として、被爆問題の研究に従事しています。」

「真珠湾攻撃と広島原爆の二重体験をして」二年三組猫本武子(現姓 アナベル武子 山根)・著。下「」引用。

「MPがきて家中を捜索し、父の建築請負会社は軍に没収され、銀行預金は凍結されてしまった。最初の日は拘引されなかったが、間もなく父は、砂島のキャンプに収容されそこからニューメキシコ州のローズバーク抑留所に送られ、病気の母は、マルヒヤ・ホームで亡くなり、私は伯父の家に預けられた。-略-」

index

そして、捕虜交換で日本に。下「」引用。

「インドのゴア港で、一週間かかって、捕虜交換が行われ、私達は日本船の「ティア丸」にのりかえた。日本船は小さく、二千人も乗るため、デッキやラウンジで寝なければならなくなった人もでた。-略-父の故郷、広島へ-略-(The Hawaii Hochiより抜粋及び聞き書き)(ホノルル)(文責 山内)」

本当にいろいろな人がおられますね……。

index








index





エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。