磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第13集(1999)

2010年05月15日 | 読書日記など
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第13集(1999)』
   長崎の証言の会・編/長崎の証言の会1999年

原田東岷いわく。下「」引用。

「ヒロシマで被爆者医療に生涯を捧げ、九九年六月二十五日に逝去されました原田東岷先生は「現代をテロ時代と喝破してはどうなのか? 過激派だけがテロだと想定しないで、わが国を含め、友邦だと思っている先進国にも殺戮の英雄を勲章で報いる国家エゴの国々や、核志向の国家群の方がテロの本家だと考えたことはないのか」と核大国と先進国のエゴを痛烈に批判しておられます。」



アウシュビッツに行った人の感想。下「」引用。

「-略-アウシュビッツは今でも夢に出てくるほどショッキングでした。日本で伝えられている以上の悲惨さを感じました。ガイドをされた教授の方に、書物とか映画などで知りえなかったことを説明して貰えました。-略-」

聖徳寺の下での救護活動」石破氏智栄子(証言者)。下「」引用。

「大村海軍病院から救護派遣
 銭座町で生まれ育った私が、長崎への原爆投下の日、実家の近くで救護活動をしたのです。
 大阪の日赤看護学校を卒業した私は、大村海軍病院で、日赤の三六二救護班の看護婦として勤務していました。-略-」

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世界宗教者会議本部へ「ニューヨークへの平和の旅」向井恵美子(長崎・活水高校教諭)・著。下「」引用。

「次の訪問先は隣接するNGOの世界宗教者会議本部で、事務次長のジョン・マコーリー神父が会見に臨んで下さった。-略-」

「水平線の彼方へ--ピースボート地球一周クルーズに参加して--」西岡由香・著。

「フランスにおける「平和の文化」活動報告」フランス広島・長崎研究所代表 美帆シボ・著。
エピネでも被爆柿の木二世植樹。下「」引用。

「-略-パリ郊外のエピネ市から声がかかった。エピネ市は人権差別反対教育週間を実施し、その一環として広島のサダコちゃんの話と折鶴を教え、三月二十四日に平和のシンボル・ツリーを植える予定だというのだ。-略-」

「生きている“原爆神話”」「アメリカ市民に原爆を伝える」山川剛・著。下「」引用。

「トルーマンの演説が“原爆神話”としても今も一般のアメリカ社会で生き続けていることをあちこちで実感した。八月九日前後ぐらいは少なくとも当時の写真やフィルムやビデオを見たり被爆者の話を聞いたりする機会がある。それでも被爆の実相をイメージさせるのは難しい。ましてアメリカでは、一生に一度会うかどうかの被爆者が、極東の日本から訪れて、一時間ぐらい話して立ち去るのだ。分かってくれというのが土台無理なのだと思う。「被爆」のごく一部に触れるだけなのだから。しかしそれだけに初めての原爆との出会いが強烈なのも事実である。紙芝居十枚目の谷口稜曄さんの「焼かれた背中」のカラー写真に多くのアメリカ人が声を上げた。-略-」

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「被爆くすの木と出会って」下「」引用。

「南京大虐殺」コーナー(資料館)で。「修学旅行を通しての平和教育」兵庫県山南町立南中学校。
「-略-その先を進んだところに加害世の展示があった。生徒達はそのことについて学習していたので、このコーナーを最初から探して歩いていたようだ。「事実かどうかもわからんことを展示して……。ここは原爆資料館なんだぞ! 長崎市長の売名行為だ!」……南京大虐殺の展示に、スーツ姿の数人の男性が激しい口調で話しているのを、実際耳にした生徒もいた。-略-生徒にとっては、かなりショックだったようである。「こわかった。あの人たちの年代の人の考えは変わらないと思う。……私達はもっと勉強しなければならない。」感想をもらした。
 さらに見学路を進むと戦後の核実験の様子が分かる展示がある。本当に『戦後』なのだろうか……と憤りを覚え、今が『核の時代』であることを実感する。-略-」

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