磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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アメリカの中のヒロシマ

2006年11月23日 | 読書日記など
『アメリカの中のヒロシマ 上』
     R.J.リフトン、G.ミッチェル(著)/
       大塚隆(訳)/岩波書店1995年

いろいろなことを考えることが好きな人たちだけど、
鋭いと思う点もあれば、机上の論理ではと……。
いろいろ考える本でもありました。



表紙の裏にはこう書かれています。下「」引用。

「広島・長崎への原爆投下は日本の降伏を早め、百万の米兵を救った--米国で今もなお強く信じられる投下正当化の「物語」は、どのように形づくられたか。トルーマン大統領はいかに投下を決定した、原爆開発や投下にかかわった政治家・科学者・軍人、そして国民の心理はどう揺れ動いたか。政府による恐るべき情報操作、科学者たちの関与と煩悩、ジャーナリズムの動揺……。ともに広島在住の経験を持つ精神医学者とジャーナリストがこの神話の五○年を徹底的に検証した記念碑的な労作。」


心理学的に原爆をとらえていくことは興味深いものがあります。

イメージ戦略をアメリカ政府は昔からしていたようですね。

それは、まるで安っぽいハリウッド映画のように、つまらない薄っぺらいものです。

しかし、狂喜している人たちには、それが誇りあるものらしいです。

メアリー・マッカーシーの批評は激しいです。下「」引用。

「始めから隠されていたわけだが、ヒロシマはすぐにアメリカ人の意識から消え失せた。一九四六年に早くも、作家のメアリー・マッカーシーはヒロシマを「人類の歴史の空洞」と呼んでいる。三十年後、原爆開発にも関わった精神科医のラルフ・ラップは「記憶が物事を止めるとすれば、その記憶はどこにあるのか。ヒロシマはアメリカ人の良心から取り除かれ、内臓を抜かれ、根絶やしにされた」と述べた。」


詩人リチャード・ヒューゴの言葉はアメリカ人だけでなく、日本人にもあてはまります。下「」引用。

「世界は学ばない。歴史は過去を口に合うものに、死者を夢にする方法を持つ」と述べた。しかし、ヒロシマはわれわれの個人的で集合的な実在に対し、あらゆる角度から影を投げかける。」

トルーマンの発表も何カ月も練られたものだったらしい。

ローレンスという記者は、ジャーナリストというよりも、政府の宣伝担当という感じの人のように書かれてありました。

ジョン・ハーシーの本でさえもプレスコードで出版するのに困難があったようです。

オッペンハイマーとトルーマン大統領の会話には興味深いものがありました。トルーマンは「泣き虫科学者」とオッペンハイマーのことを呼んだそうです。


『アメリカの中のヒロシマ 下』
     R.J.リフトン、G.ミッチェル(著)/
       大塚隆(訳)/岩波書店1995年


帯に書かれてありました。下「」引用。

「恐るべき情報操作、
煩悶する科学者、
動揺するジャーナリズム……
スミソニアン博物館の
原爆展中止に至る
米国民の半世紀の
「格闘」を追い、
「核のわな」からの脱出を考える」




爆縮技術の父といわれるセス・ネダーマイヤー、ヒロシマから五十年近く後に、罪悪感をもったという。


原爆乙女を阻止しようとした国務省高官。下「」引用。

「「われわれは少しいらいらしてきた」と国務次官補のウォルター・ロバートソンは後にこう認めている。「私の主な心配は、このプロジェクトが原爆の禁止に向けて世論を刺激しかねないということだった」。彼は乙女たちが「核戦争の恐怖を指摘するために国中を連れて歩かれる」ことを恐れた。乙女たちの出発前日、広島の米国領事が旅行を止めさせようと試みた。彼は国務省に、このプロジェクトは「核兵器の破壊的な影響に重きを置かないわが国の世界中での努力」と調和しないという電報を打った。国務省高官は飛行を中止するよう命じたが、その数分後に乙女たちを乗せた飛行機は米国に向けて旅立った。」

このことに対する批判も鋭いものがありました。


もくじ


残忍なアメリカ政府による人体実験のことも書かれていました。

ジョニー・ロットン「未来がないのに、罪があるわきゃない」といったのは、まるで正当であるように書かれてあるのには驚きました。






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