磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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秘録大東亜戦史 原爆国内篇

2010年08月25日 | 読書日記など
『秘録大東亜戦史 原爆国内篇』
   田村吉雄・編/富士書苑1953年

いろんな新聞社の人たちが、いろいろなテーマで書かれています。



東条、自殺の前日。下「」引用。

「自殺の前日、東条は夫人とともに、終戦のその日から、すでにいまわしい過去の累積の記録となってしまった人名簿や文書のすべてを焼いたという。」

「ムダな穴」松代大本営。下「」引用。

「陛下「この辺に戦争中“ムダな穴”を掘ったところがあるそうだね」」

松代大本営、地震研究所と化す……。

「古都洛陽の紙爆弾--京都」 下「」引用。

「かくて戦局はいよいよ悪化した。五月二十八日、紙爆弾が京都市北部に投下された。爆弾型の容器が京都市北部に投下された。爆弾型の容器が裂けて仲から出て来たのは、伝単、新聞号外型の宣伝文などであった。
 --今度の戦争は一部特権階級と軍の横暴によって惹起(ひきおこ)されたものであるそのため一般国民は塗炭の苦しみにある。日本の敗北は既に決定的である。国民は速やかに軍や政府を捨てて戦争をやめるべきである--というような文章が、挿絵入で記されている。」

焼都大阪と原爆。下「」引用。

「デスクを引きついで、前夜の各地の空襲状況を集めた。そのうちに連絡部から、
「広島との連絡がつかないので西部本社では困っている。こちらからもやってみたがわ全然だめだ。広島がやられたのではないか」
 というはなし。中軍へ連絡をとったが、どうもはっきりしない。そのうちにだれがいうもはっきりしない。そのうちにだれがいうとなく、けさB29が一機広島方面へ向かったと放送しているが、ことによったらやられたのではないかということになり、ここではじめて原子爆弾のうわさがもち上がった。
 そして大段博士の原子核破壊の実験による犠牲の話なども出てきて、デスクのあたりはとみに緊張のかたち。正午すぎて、どうやら新しい性能をとった爆弾でやられたことが判ったが、すべては大本営発表にまたねばならない。-略-」

東条、来阪。下「」引用。

「このサイパン陥落の約一カ月前、東条首相は、疎開状況視察という名のもとにひょっこり大阪へやってきた。-略-それから大阪市内をぐるぐる廻り、築港で演説をぶって、さっさと西宮の高級料亭へ立去った。-略-」

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九大事件。下「」引用。

「十月になった。西日本新聞の社会部に一通の封書がきた。毎朝のことだ。-略-結局内偵はするが確実になるまで絶対に記事にしないということにきまった。-略-
 米軍は最初、九大事件は知らなかった。油山事件で西部軍の幹部を調べているうちにフイとこの事件が出てきたのである。-略-
 油山事件および九大事件で西部軍の横山司令官、佐藤参謀以下が絞首刑の判決言渡しをうけた。だが一人として絞り首になったものはいない。みんな減刑になった。-略-」

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「曼珠沙華-原子雲の下の広島-」共同通信社整理部次長 中村敏・著。
「文明という名の悪魔が史上未曾有の惨禍をもらたしたのだ。血に渇いた神々の残虐、鬼神も面を背けるその惨状をジャーナリストとしての世紀の体験第一報を送ることに成功した著者が、呪うべき地獄の中に捉えた死の広島の実相。-略-」

「竜巻-黒い雨」 下「」引用。

「-略-かれこれ四十分ぐらいの時間が経過しての出来事であるハンドルをを握る腕が、見る見るうちにドス黒くなった。
 烈風は前後、左右、上下から圧力を加え、自転車もろとも揉みくちゃにされそうである。前後、左右、上下から圧力を受ける、というとおかしな話だが、圧さく空気の中にたたき込まれると、このような圧迫を感ずるのかも知れないと思った。力一杯、ペダルを踏むのだが、自転車はちょっとも進まないほどの烈風となって、ドス黒い大粒の雨が痛いまでに私の体をたたく。烈風はついにたつ巻にかわって、歩行すら困難になった。そればかりではないこのままでいれば、どこに吹き飛ばされるかわからない。」

第一報は死者およそ十七万の損害。下「」引用。

「六日午前八時十六分ごろ、敵の大型機一きかいないし二機、広島市上空に飛来し、一発ないし二発の特殊爆弾(原子爆弾やも知れず)を投下した。これがため広島市は全焼し、死者およそ十七万の損害を受けた」
 これが私の広島空襲の第一報であつた。時に午前十一時二十分であった。死者およそ十七万を繰返し聞きかえし、特殊爆弾とはどんなものかと二回聞かされた。電話をきって、極めて大胆な損害の数字を吹込んだと思ったが、後の祭でどうすることも出来ない。」

ロンドンのデイリー・エキスプレスのパージャ特派員。一番乗りしようとした連合国人の一団の一人。下「」引用。

「「神は、この罪は許されないかもしれない、あまりに悲惨すぎると思う」と言った。」

「永井隆博士の思い出」「原子雲の下」読売新聞社神戸支局長 熊倉一夫・著。

--八月六日(広島原爆の日)に、永井隆にインタビューをしていたという。

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