磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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第一集原爆被爆体験記

2007年07月24日 | 読書日記など
『第一集原爆被爆体験記』
    茨木県原爆被爆者協議会(編)/
      茨木県原爆被爆者協議会s60 年

被爆された方は全国におられます。たくさんの方が被爆されたことがこれでも理解できると思います。また、日本だけでなく外国にもおられます。



投下された場所は、長崎と広島。

被爆者の方たちも当時、どちらかにおられました。

--広島では、女学生が電車の運転をしていたという。

男性が戦地へ行ったため、労働力不足だったのが原因。

戦後も、電車の運転をしたいと望んだけれど、女性はだめとの性差別があったという。

積極的な平和を求める人たちは、こういう差別をも許してはならないという。

こういうことを、構造的暴力という。

--戦争は究極の差別。


市電運転をされていた女性のことも、市電で被爆された方が書かれています。下「」引用。

「青白い閃光が目の前にワーッと襲いかかってきた。運転席の日の丸鉢巻きの女学生が「キャーッ」という悲鳴をあげてデッキから転げ落ちていく。私、マグネシウムをたいたような熱い閃光と、なぐりつける爆風のなかで、必死になって運転席の手すりにしがみついた。」

1945年8月6日・ヒロシマ

戦前、「世界に告ぐ」というドイツ映画があったという。
gooの映画に紹介されていました。
ドイツ映画ではなく、アメリカ映画となっています。
検索してみると、1941年の映画。
爆撃によって、跡形もなくなる光景。
映画だから、誇張されていると思ったが、それよりも長崎原爆はひどかったという。

--子ども助けた兵隊。
太田川に、子どもを丸太に乗せて川を渡っている母。
岸辺間近で丸太がくるっとまわり、子どもが川の中へ。
「兵隊さん助けてえ」と叫んでいる。
兵隊である著者は飛び込み子どもを助けたという。








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