磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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フェミニズムと朝鮮

2010年08月07日 | 読書日記など
『フェミニズムと朝鮮』
   鈴木裕子・著/明石書店1994年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「日本の女性たちは、
朝鮮植民地支配と侵略戦争に
いかに協力し、
いかに抵抗したか」



公娼制と植民地支配……。下「」引用。

「女性史のうえで銘記すべきは、台湾領有後、また朝鮮の事実上の植民地支配後、それぞれの地に公娼制を導入し、確立させていったことである。日本「内地」における公娼制をそのまま「外地」にもちんこんだのであった。ここには女の性をテコにした植民地支配の像が結ばれよう。」

伊藤博文内閣。下「」引用。
「こえて一八九三年六日、伊藤博文内閣は外務省訓令第一号を発し、「婦女を誘拐」し、種々の方法によって海外に渡航せしめ、「醜業」を営ませようとする「途を杜絶」するよう取り計らうべしとの指示をおこなった」

自らの胎内にひそむ差別主義……。下「」引用。

「女性差別を指弾し、女権拡張を叫ぶ『婦女新聞』は、みずからの胎内にひそむ民族差別性にたいし、徹頭徹尾、「不感症」であった。そして、このことは、ひとり『婦女新聞』にかぎらず、近代日本のフェミニズムに通底するものであった。」

菅野すが。下「」引用。

「一九一○年代の幕開けの年、一九一○年は周知のように「日韓併合」が強行され、他方、日本国内では「大逆事件」がおこり、一二人の無実の社会主義者・無政府主義者が権力の手にかかった。この天皇制テロルによって虐殺された唯一の女性、菅野すががいた。」

日露戦争と「売春」輸出。下「」引用。

「日露戦争の勃発(一九○四年二月)は「売春」業者たちを再び活気づかせ、暗躍させた。当時の『福岡日日新聞は、その一端をこえ伝えている。
「◎芸娼妓の渡韓続々 -略-」
 「芸妓」や「酌婦」に名を借りて、実際は娼婦たちを送り出し(輸出!)、大もうけをたくらんだのであった。当局もまた「遊廓公許」という形でこれに応えたのであった。」

「朝鮮における矯風会活動--仁川支部にみる」下「」引用。

「これでみる限り、朝鮮民衆が日本による植民地収奪政策の結果、「窮民」化するにいたったという認識は皆無である。」

「3 「婦女禁売」条約批准と朝鮮」 下「」引用。

「一九二五年一二月二一日、日本は、「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」および「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」(以下「婦女禁売」条約と略記)をようやく批准した。」

「三沢千代野事件と「婦女禁売」問題」 下「」引用。

「-略-この女性の性的人権を公然と侵害した事件にたいし、水戸裁判所、東京地方裁判所、控訴院、大審院のいずれも「罪状軽微にして取上ぐるに足らず」-略-」

「日本当局、調査団の動静に戦戦恐恐」 下「」引用。

「この間、日本当局はジョンソン一行の動静に神経をとがらし、戦戦恐恐としていた模様で、出先機関に遂一、報告をおこなわせている。-略-」

除外と日本基督教婦人矯風会……。下「」引用。

「しかし、その場合でも、日本当局は、「用意周到」にも、植民地適用除外を付して、「婦女禁売」条約を批准していたのであった(本書九六ページ参照)。
 日本の廃娼団体である日本基督教婦人矯風会やその朝鮮支部が右の事情をよく知っていて、一九二七年、さきの「婦女禁売」条約における年齢保留撤廃をもって、「婦女」の国際売買問題に一応の区切がついいたとして、運動を取りやめたとしたら、千歳の禍根を残したといえよう。
 日本軍「慰安婦」政策が、朝鮮半島の若い女性を狙い打ちにして、日本軍首脳によって大々的に導入されるのは、この時からわずか七年後の一九三八年であった。」

婦人矯風会は知っていたのか? 下「」引用。

「当時の婦人矯風会の幹部や活動家が日本軍「慰安婦」制度についてよく知っていたかどうかは、彼女らがみな語らずして死去した今となっては確かめるすべはない、といえよう。ガントレット恒子や久布白落実らが戦後に著した自伝類もそれについてはいっさい触れてはいないのである。そのこと自体、不自然であり、不思議である。」

「3 婦人矯風会と「戦争責任」」 下「」引用。

「右のような戦争観・戦争認識からは、アジアの民衆に対する戦争責任意識は生まれない。-略-その人権の物差しに少しも歪みがなかったのか、性意識や対外認識(植民地認識など)に問題はなかったのか、天皇(制)や国家への認識は誤りはなかったのか、などについて冷静に分析し、問い直す必要があろうかと思われる。-略-」

もくじ

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吉岡弥生=女子医学教育のパイオニア。下「」引用。

「とりわけ戦時中の婦人界における吉岡の位置は大きく重かった。いわゆる「支那事変」以降に限っても、吉岡は次のように多くの公職についた。
 国民精神総動員中央連盟評議員(一九三七年一○月)、大日本航空婦人会顧問(同年)、教育審議会委員(同年一二月)、精動中央連盟非常時国民生活様式改善委員会委員(一九三八年六月)、-略-国民精神総動員中央本部参与-略-大日本婦人会顧問(一九四二年二月)-略-」

吉岡弥生とナチス。1939年70歳の旅。下「」引用。

「総統ヒットラーのもと、ナチス婦人団の指令一下、女性たちがよく統制されているさまに吉岡は感嘆の声をあげている。また母性保護や母子福祉に相当程度、力を入れているナチスの女性政策にも共感を示してもいる。-略-」

「三 上坂冬子氏の妄論を排す--『思い出すだに腹が立つ』を読んで」
--突如ではなかった「韓国の女性団体のいち早い取組み」

「立論に都合のいい切り取り--吉野作造の読み違い」
吉野作造が強調したかったもの……。下「」引用。

「さらに彼がこのなかでとくに強調したのは「朝鮮人にしろ支那人(ママ)にしろ、善政をさえ布いてやれば、彼等は全然無条件に日本の統治に満足するものなりと断定するならば、これは独立民族の心理を解せざるの甚だしきもの」-略-さらに二三年の関東大震災の際には、身をもって朝鮮人学生をかくまい、筆をもっては先頭に立って朝鮮人虐殺を糾弾した、その人こそ吉野作造-略-自著のなかで、上坂氏は「文章の前後の脈略を無視して文中の一句のみを切り取り」(五六ページ)批判することを警めは氏自身にも向けられねばなるまい。」

人間は間違うものですね……。しかし、訂正やお詫びもしたいものですね。

上坂の発想は、徹頭徹尾、男の支配者・軍指導部の立場からなされている。下「」引用。

「ここに描かれている兵士像は、“セックス・アニマル”そのものである。兵士たちを思いやるようにみえて、実は彼らの人間としての尊厳をこれぽっちの敬意も払われていないのである。
 兵士に女を「あてがわなければ」、何をしでかすかわからないから、「慰安婦」を、といった発想であって、それは、兵士--男性を理性ある存在としてみることをはなから否定しているようなものである。繰り返そう。これは男の権力者の発想そのものである。心ある男性--元兵士諸氏は、これをどう考えるのであろうか。」

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