『ジャーナリズムを学ぶ人のために 新版』
名田村紀雄、林利隆・編/世界思想社1999年
よくわからない本だった……。
--抽象的なことも書かれてある本だと思う……。
「ニュース特質1 レリヴァンス」 下「」引用。
「-略-ここでは、「ニュースのレリヴァンス」を、ある社会のなかでのニュースの送り手とし受け手がともに関心や注意を払う「出来事(event)」や「主題(topic)」、およびそうした出来事や主題を送り手が伝達し、受け手が受容する「動機づけ(motivation)」と関係するものとして位置づけておこう。いうまでもなく、キャパが記録し伝えようとした「第二次世界大戦」はまさに全社会を巻き込む重大な「出来事」であり、人びとが最大級の関心や注意を向ける「主題」であった。-略-」
「特質2 リアリズム」 下「」引用。
「-略-「リアリズム」概念は、通常、文学上の表現方法として、とくに自然主義文学的な写実的手法として理解されるが、佐々木基一によれば、リアリズムの重要な特徴は、「存在の中に本質を探り、然も存在そのものへの客観的態度を失わないこと」であり、「本質を探るという以上、それは現実生活のもっとも本質的で、重要な合法則的緒連関の真実の把握を目指しており、生活の経験的事実の直接な模写とは勿論違うが、然し、なおその基底は現実生活の実証的な客観的な諸事実から遊離しないという点」にある(『リアリズムの探究』未来社、一九六五年、一六頁)。ニュース報道における「リアリズム」を考える際にも、この点が重要であろう。」
キャパの写真は同時に芸術作品でもあるという。
「特質3 アクチュアリティ」 下「」引用。
「-略-そこで花田は、アクチュアリティを「偶然」とみなし、現在の偶然を踏み台にして、過去の必然と未来の可能を弁証法的に統一したものが、リアリティ--すなわち「現実」なのであるととらえる」
「世界情勢を日本人の視点で」
--現在のマスコミ、アメリカの大本営に従っている気がしてならないですね。
イラク戦争は終ったと、大本営にあわせていたのは、日本だけだった気がする……。アメリカでも否定されていた……。
「第6章 「記者クラブ」制度とジャーナリズム」
大戦後から指摘されていたという。下「」引用。
「これをありていにいえば、日本の記者クラブ制度は、一方で、第二次世界大戦後指摘され続けてきた制度とシステムに内在する問題点を克服しえないままに社会の批判にさらされ、他方で、インターネットに象徴される情報の電子的な処理・伝達技術の革命的名進展を前に、自らの機能と役割を問いなおすことを余儀なくされているということであろう。明らかに、記者クラブは今また大きな転換期を迎えている。」
でも、今もこの問題を提起するジャーナリストがいる。
「認められた外国記者の正式加入」? 下「」引用。
「-略-GHQの占領下の時代から記者クラブの閉鎖性を批判して、門戸を開くように訴え、また、国内の雑誌・週刊誌メディアなども事あるごとに記者クラブの排他的な情報独占とその運営を非難してきた。-略-一九九二年九月、外務省の「霞クラブ」が正式会員として外国報道機関の加盟を認めることを決定、さらに、一九九三年六月、日本新聞協会編集委員会が、一九七八年の「見解」を一部改め、「相互・互恵主義」の原則にたって外国記者の正会員加入を認めるべきであるとの方針を確立することによって、この問題については一応の終止符が打たれることになった。」
本当になったのか?
しかし、ネットで検索してみると、「霞クラブ」は外務省批判の記事は書けないという。
index
「第8章 メディアにおけるマイノリティとジェンダー」
構造的暴力に対しても、無責任な態度であるとしか思えない。
index
目次
名田村紀雄、林利隆・編/世界思想社1999年
よくわからない本だった……。
--抽象的なことも書かれてある本だと思う……。
「ニュース特質1 レリヴァンス」 下「」引用。
「-略-ここでは、「ニュースのレリヴァンス」を、ある社会のなかでのニュースの送り手とし受け手がともに関心や注意を払う「出来事(event)」や「主題(topic)」、およびそうした出来事や主題を送り手が伝達し、受け手が受容する「動機づけ(motivation)」と関係するものとして位置づけておこう。いうまでもなく、キャパが記録し伝えようとした「第二次世界大戦」はまさに全社会を巻き込む重大な「出来事」であり、人びとが最大級の関心や注意を向ける「主題」であった。-略-」
「特質2 リアリズム」 下「」引用。
「-略-「リアリズム」概念は、通常、文学上の表現方法として、とくに自然主義文学的な写実的手法として理解されるが、佐々木基一によれば、リアリズムの重要な特徴は、「存在の中に本質を探り、然も存在そのものへの客観的態度を失わないこと」であり、「本質を探るという以上、それは現実生活のもっとも本質的で、重要な合法則的緒連関の真実の把握を目指しており、生活の経験的事実の直接な模写とは勿論違うが、然し、なおその基底は現実生活の実証的な客観的な諸事実から遊離しないという点」にある(『リアリズムの探究』未来社、一九六五年、一六頁)。ニュース報道における「リアリズム」を考える際にも、この点が重要であろう。」
キャパの写真は同時に芸術作品でもあるという。
「特質3 アクチュアリティ」 下「」引用。
「-略-そこで花田は、アクチュアリティを「偶然」とみなし、現在の偶然を踏み台にして、過去の必然と未来の可能を弁証法的に統一したものが、リアリティ--すなわち「現実」なのであるととらえる」
「世界情勢を日本人の視点で」
--現在のマスコミ、アメリカの大本営に従っている気がしてならないですね。
イラク戦争は終ったと、大本営にあわせていたのは、日本だけだった気がする……。アメリカでも否定されていた……。
「第6章 「記者クラブ」制度とジャーナリズム」
大戦後から指摘されていたという。下「」引用。
「これをありていにいえば、日本の記者クラブ制度は、一方で、第二次世界大戦後指摘され続けてきた制度とシステムに内在する問題点を克服しえないままに社会の批判にさらされ、他方で、インターネットに象徴される情報の電子的な処理・伝達技術の革命的名進展を前に、自らの機能と役割を問いなおすことを余儀なくされているということであろう。明らかに、記者クラブは今また大きな転換期を迎えている。」
でも、今もこの問題を提起するジャーナリストがいる。
「認められた外国記者の正式加入」? 下「」引用。
「-略-GHQの占領下の時代から記者クラブの閉鎖性を批判して、門戸を開くように訴え、また、国内の雑誌・週刊誌メディアなども事あるごとに記者クラブの排他的な情報独占とその運営を非難してきた。-略-一九九二年九月、外務省の「霞クラブ」が正式会員として外国報道機関の加盟を認めることを決定、さらに、一九九三年六月、日本新聞協会編集委員会が、一九七八年の「見解」を一部改め、「相互・互恵主義」の原則にたって外国記者の正会員加入を認めるべきであるとの方針を確立することによって、この問題については一応の終止符が打たれることになった。」
本当になったのか?
しかし、ネットで検索してみると、「霞クラブ」は外務省批判の記事は書けないという。
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「第8章 メディアにおけるマイノリティとジェンダー」
構造的暴力に対しても、無責任な態度であるとしか思えない。
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