磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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セミパラチンスクSEMIPALATINSK 汚染の民・核汚染の50年

2008年04月10日 | 読書日記など
『セミパラチンスクSEMIPALATINSK
   汚染の民・核汚染の50年』
     森住卓(写真・文)/高文研1999年

「核実験は祖国に対する核戦争だった」
--まさにそうだろうとボクも思いました。
世界支配をしている常任理事国の全てが核兵器保持。
その核兵器開発の途上で多くの人たちがモルモットにされています。
--元ソ連などはまだ伝えられるだけマシなのかもしれない。




帯に書かれてあります。下「」引用。

「あなたは、これらの勇気ある映像をときには正視できないかもしれない。でも、ふんばって見すえたほうがいい。二十世紀の狂気と悲劇の在りかがわかるから。二十一世紀、やってはならないことが何か、わかるから。」

しかし、日本の政治家は核兵器保持という人たちがいる。
--もはや、人々を苦しめ、「核の冬」にする残虐な行為としかボクには思えません。

核実験場にされたセミパラチンスク。下「」引用。

「セミパラチンスク核実験場で原爆実験が開始されて、今年(一九九九年)でちょうど五○年になる。すでに半世紀もの間、草原の民は受難の日々を強いられてきたのだ。核兵器に狂奔したソ連という国家が崩壊してしまったが、そこに残された放射能はカザフ民族に取り返しのつかない深い傷を今後幾世紀にもわたって負わせてしまった。」


モルモットにされた村人たち。下「」引用。

「1953年、初の水爆実験が行われた。周辺の村には避難命令が出されたが、カイナール村では42人の男が村に残され核実験を見物させられた。41人はガンや白血病などで亡くなった。エレオガゼさんはたった一人の生き残りだ。現在、皮膚ガンと肝臓障害で苦しんでいる。(1997年8月)」

たった一人だけの証人が語る。下「」引用。

「ヌルガリエフ・エレオガゼさん(現在67歳)は、その時、村に残された男たちの中でたった一人の生き残りである。彼には、爆発により、村で火災が発生したさいに報告する任務が与えられた。
 実験の当日に、四二人の男たちは近くの山に連れて行かれ、爆発の光を見せられた。数時間後、エレオガゼさんたちの頭上を放射能雲が通過した。」


全員が被曝者だという住民。下「」引用。

「とにかく、案内された家で人々の写真を撮りつづけた。ここに住んでいる人は、全員被曝者なのだ。ユーリさんの娘アリョーナさんが英語が話せるので、アルマティーに帰ってから彼女を通訳にして、撮影した人が何の病気だったのかを聞き出せばよいと考えていた。」

人々の奇形や六本足の子牛……。


そしてABCCのような奇妙な医療機関。下「」引用。

「第四診療所の四万三百人のカルテ-略-表向きは風土病の「ブルセラ病」の研究機関だと言われていたが、診療活動をしなかったので住民からは不気味がられた。」

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第四診療所は42人の男たちのその後の健康追跡調査をつづけていたという。

裏表紙。下「」引用。

「続けられている核実験。森住さんの写真を見ると、美しい地球が、人間が、滅びる日がすぐ来るような気がします。心が痛みます。 吉永小百合」














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