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福祉の町ベーテル-ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語-

2011年03月04日 | 読書日記など
『福祉の町ベーテル-ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語-』
   橋本孝・著/五月書房2006年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「福祉の原点ここにあり
ナチスの安楽死政策にも屈せず、愛と信念を貫いた「神の家(ベーテル)」の130年間。ここには塀もなければ格子もない。見張り番もいない。ベーテルは自由に出入りできる開かれた町である。その「本当の福祉」の精神は、今や世界中に広がっている。」



表紙の裏「ベーテルの奉仕の精神ここにあり」 下「」引用。

「アメリカの鉄鋼王カーネギーから100万ドルもの寄附の申し出があった。……のどから手がでるほどのお金であった。……丁重にお断りした。……ベーテルはみんなの力で支えて貰わなくてはならない。たとえ小額でもひとりでも多くの人たちの支えが必要だから。」

ベーテル(ヘブライ語)=「神の家」(日本語)

1873年、新しい建物「ベーテルの家」 下「」引用。

「それはしばしば発作を起こす患者、すなわちてんかんの患者の福祉施設であった。しかし、ボーデルシュヴィングは、施設にちなんで、やがて施設全体を「ベーテル」と命名する。オランダをはじめアメリカでもすべての社会福祉施設はベーテルに学び、造られていった。後に、このベーテルという名前は全世界の社会奉仕活動を象徴する名称となる。」

留岡幸助ベーテル訪問。
留岡の日記。「祈れ、働け!」。下「」引用。

「ベーテル院には「祈れ、働け!(Bete und Arbeite!)」という言葉がありむ、自立できるように、皆がそれぞれ自分にあった職を身につけるための訓練所があるのだ。彼の日記には、例えば浴場館、肉類販売棺、煉瓦工場、病院などの仕事場が紹介され、今は、その浴場館はないが、すでに二千五百六十四種類の仕事が出来るようになっている。」

三等級の入院費用(留岡幸助の日記)
一等 年間2000マルク
二等 1200マルク
三等 400~600(慈善で、両親が払えない場合は市町村)。

T4作戦」 下「」引用。

「一九四一年公式にの「T四作戦」実施通達が発せられる。このT四という名称はベルリンのティアーガルテン(Tiegarten)四番地の省略で、ここからこの通達が出されたのだ。」

ナチの医師視察団、ベーテルへ。下「」引用。

「一九四一年二月、ベルリンから十八名の医師、十八名の女性秘書、十八台のタイプライターを備えたナチの医師視察団がベーテルにやって来た。患者を一人ひとり、働く能力があるかどうかをチェックするためである。一行はすくざま管理事務所や奉仕業務の建物の中へ押し入り、力ずくで患者の種類を奪い、死に値すると判断した患者を記録していった。-略-」

カール・ブラント教授もその中に……。下「」引用。

「ブラント教授というのは、以前は炭鉱の医者で、その頃ナチ党の運動に参加し、ヒトラーの信頼を得、彼の侍医となり、保健衛生局のライヒの委員長に任命されていた。もちろんフリッツはこの教授へ手紙を出したり、直接話をしたりしていた。」

ゲーリングにも手紙を送ったフリッツ。

安楽死を説くブラント教授。

フリッツはブラント教授に話した。下「」引用。

「この世の中には、生きるに値しない人とか、社会に不適応な人はおりません。神は決してそのような人間をお創りにはなりませんでした。国家にとって有用か、国家の目的に合うかの問題は人間個性の尺度にはそぐわないのです。-略-」

クリスチャンというのは聖書を読まないのだろうか? イエスがこの世から去るとき、イエスは弟子たちに、どのような人たちを主と思い生きてゆけといわれたのだろうか?

空襲……。下「」引用。

「十一回もの空襲がベーテルにあった。一九四五年一月二十九日の空襲は最も激しいものであった。一夜にして、九○○名の患者の家や寮が破壊された。死者も出た。後に偶然、当時ベーテルの空爆を行ったアメリカ兵だった人が、当時は曇っていて、ビーレフェルトの町がよく見えず、ベーテルに爆弾を投下したという。それにしてもベーテルは大きく破壊された。-略-」

「1993年天皇皇后両陛下のベーテル訪問」の写真があった。

ベーテルにつくられた日本庭園の写真も……。








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