『中東虚構の和平』
ノーム・チョムスキー(著)/
中野真紀子(訳)/講談社2004年
原書名 Middle East illusions
ユダヤ系のチョムスキー。下「」引用。
「ノーム・チョムスキーは一九二八年、ユダヤ系移民の子としてフィラデルフィアに生まれた。父親は帝政ロシアの徴兵を逃れて一九一三年に渡米した中世ヘブライ語の研究者であり、シナゴーグ神学校の校長をつとめていた。母親もヘブライ語の教師という家庭環境の中で、子供たちはパレスチナへの入植と結びついたヘブライ文化復興運動の影響にどっぷりつかって育った。もの心つくようになって、チョムスキーは自分の考えが左派シオニストの少数派に近い(当時そこで主流だったボルシェビズムを嫌ったた参加はしていない)ことを悟る。以来ずっと、その基本的な立場に変化はないようだが、彼が抱くようなシオニズムは現在ではむしろ「反シオニスト」とみなされる。「シオニスト」の意味するところが変わったのだ。」
有害であるバイナショナリズム。下「」引用。
「そして現在ではチョムスキーがバイナショナリズムの可能性をにべもなく否定しており、むしろ戦術的には有害でさえあると述べているのである。」
本書……。下「」引用。
「本書のおもな関心は、イスラエル=パレスチナ紛争と、その中でアメリカが演じる役割が過去三十五年の間に決定的に重要なものになってきたことにある。各章はいくつかのカテゴリーに分れている。第二部の五つの章は早い時期(一九六八~七三年)に書かれたもので、それに序章をつけて一九七四年に『中東の和平? 正義と国民としての地位についての省察』〔未邦訳〕という標題のもとに単行本として刊行された。第一部の五つの章は、同じ話題を三十年後(一九九七~二○○二年)に再び考察したものだ。その間に起こった出来事をふり返り、今後の見通について考察している。-略-」
「急進左翼」にデッチ上げ……。下「」引用。
「今日の文脈においてそれに匹敵するのは、みずからを「まともな左翼」と呼び、そうすることによって、「急進左翼」という、自分たちが忌み嫌い、恐れる人々の信用を貶めようとするような人々のやり方だ。実際「急進左翼」などというものは、ほとんど彼らのでっちあげであり、その呆れたやりくちは、第五章のはじめの部分で論じたものときわめて似かよっている。」
イタリア=CIAの破壊工作の最重要目標。下「」引用。
「イタリアは少なくとも一九七○年代まではCIAの破壊耕作の最重要目標であり続けた。それ以降については開示されている政府内部資料は乏しい。」
「取るに足らない人々」以下……。下「」引用。
「パレスチナ人の場合は「取るに足らぬ人々」であるばかりか、もっとランクが低かった。かれらは世界でもっとも「重要な人々」--すなわち特権的なアメリカ人とイスラエルのユダヤ人(彼らが持ち場を守っている限り)--の計画を邪魔しようとするからだ。」
ボクもその一人だろうなあー。
軍事力では……。下「」引用。
「たとえば、安全を確保する道は軍事力の強化だと信じるイスラエル人たちは、アメリカがイスラエルにファントム・ジェット機を供給したことに大喜びし、イスラエル空軍はそれを使ってエジプトの内部に深く侵攻する爆撃を行った。だが、それはロシアの介入を招いただけで、結果的に従来の軍事「バランス」は回復されたが、沿うほうの軍事力の水準はずっと上昇し、潜在的な危険も大幅に増大した。一般的に言えば、軍事的な勝利を収めても、そのたびに対立が仕切りなおされることになるだけで、恨みや憎しみはますます強まり、軍事力の水準も上昇し(一九四八年、一九五六年、一九六七年、一九七○年を比較してみるがよい)、関係する者すべてにとって潜在的な危険がふくらんでいくのだ。イスラエルから見れば、これは勝ち目のない戦術だ。イスラエルは勝ち続けるだろうか。一度負けたら次はない。-略-」
マルクス主義者ではないチョムスキー。下「」引用。
「私がマルクス・レーニン主義を誇るような団体に長年所属していたという申し立てについて言えば、私ハショメル・ハツァイールに参加したことはないし、そうしなかった理由は、まさにそれがスターリン主義やトロツキー主義の緒傾向をもっていることに反対だからだ。」
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目次
ノーム・チョムスキー(著)/
中野真紀子(訳)/講談社2004年
原書名 Middle East illusions
ユダヤ系のチョムスキー。下「」引用。
「ノーム・チョムスキーは一九二八年、ユダヤ系移民の子としてフィラデルフィアに生まれた。父親は帝政ロシアの徴兵を逃れて一九一三年に渡米した中世ヘブライ語の研究者であり、シナゴーグ神学校の校長をつとめていた。母親もヘブライ語の教師という家庭環境の中で、子供たちはパレスチナへの入植と結びついたヘブライ文化復興運動の影響にどっぷりつかって育った。もの心つくようになって、チョムスキーは自分の考えが左派シオニストの少数派に近い(当時そこで主流だったボルシェビズムを嫌ったた参加はしていない)ことを悟る。以来ずっと、その基本的な立場に変化はないようだが、彼が抱くようなシオニズムは現在ではむしろ「反シオニスト」とみなされる。「シオニスト」の意味するところが変わったのだ。」
有害であるバイナショナリズム。下「」引用。
「そして現在ではチョムスキーがバイナショナリズムの可能性をにべもなく否定しており、むしろ戦術的には有害でさえあると述べているのである。」
本書……。下「」引用。
「本書のおもな関心は、イスラエル=パレスチナ紛争と、その中でアメリカが演じる役割が過去三十五年の間に決定的に重要なものになってきたことにある。各章はいくつかのカテゴリーに分れている。第二部の五つの章は早い時期(一九六八~七三年)に書かれたもので、それに序章をつけて一九七四年に『中東の和平? 正義と国民としての地位についての省察』〔未邦訳〕という標題のもとに単行本として刊行された。第一部の五つの章は、同じ話題を三十年後(一九九七~二○○二年)に再び考察したものだ。その間に起こった出来事をふり返り、今後の見通について考察している。-略-」
「急進左翼」にデッチ上げ……。下「」引用。
「今日の文脈においてそれに匹敵するのは、みずからを「まともな左翼」と呼び、そうすることによって、「急進左翼」という、自分たちが忌み嫌い、恐れる人々の信用を貶めようとするような人々のやり方だ。実際「急進左翼」などというものは、ほとんど彼らのでっちあげであり、その呆れたやりくちは、第五章のはじめの部分で論じたものときわめて似かよっている。」
イタリア=CIAの破壊工作の最重要目標。下「」引用。
「イタリアは少なくとも一九七○年代まではCIAの破壊耕作の最重要目標であり続けた。それ以降については開示されている政府内部資料は乏しい。」
「取るに足らない人々」以下……。下「」引用。
「パレスチナ人の場合は「取るに足らぬ人々」であるばかりか、もっとランクが低かった。かれらは世界でもっとも「重要な人々」--すなわち特権的なアメリカ人とイスラエルのユダヤ人(彼らが持ち場を守っている限り)--の計画を邪魔しようとするからだ。」
ボクもその一人だろうなあー。
軍事力では……。下「」引用。
「たとえば、安全を確保する道は軍事力の強化だと信じるイスラエル人たちは、アメリカがイスラエルにファントム・ジェット機を供給したことに大喜びし、イスラエル空軍はそれを使ってエジプトの内部に深く侵攻する爆撃を行った。だが、それはロシアの介入を招いただけで、結果的に従来の軍事「バランス」は回復されたが、沿うほうの軍事力の水準はずっと上昇し、潜在的な危険も大幅に増大した。一般的に言えば、軍事的な勝利を収めても、そのたびに対立が仕切りなおされることになるだけで、恨みや憎しみはますます強まり、軍事力の水準も上昇し(一九四八年、一九五六年、一九六七年、一九七○年を比較してみるがよい)、関係する者すべてにとって潜在的な危険がふくらんでいくのだ。イスラエルから見れば、これは勝ち目のない戦術だ。イスラエルは勝ち続けるだろうか。一度負けたら次はない。-略-」
マルクス主義者ではないチョムスキー。下「」引用。
「私がマルクス・レーニン主義を誇るような団体に長年所属していたという申し立てについて言えば、私ハショメル・ハツァイールに参加したことはないし、そうしなかった理由は、まさにそれがスターリン主義やトロツキー主義の緒傾向をもっていることに反対だからだ。」
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