磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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平和を勝ち取る-アメリカはどのように戦後秩序を築いたか-

2009年08月17日 | 読書日記など
『平和を勝ち取る
  -アメリカはどのように戦後秩序を築いたか- Winning the Peace』
    ジョン・ジェラルド・ラギー(著)/
      小野塚佳光、前田幸男(訳)/岩波書店2009年

図書館の説明文。下「」引用。

「第2次大戦後、アメリカが他国とともに構築してきた国際連合、NATO、IMF・世界銀行に代表される世界秩序の誕生過程とその後の経験を検証し、冷戦後の世界とアメリカの関係をマルチラテラリズムの立場から提言する。」



ソ連のボイコット……。下「」引用。

「とにかく国連で活動ができたのは、国連でどちらの中国が代表されるべきかという問題に対して、ソ連が安保理をボイコットしたおかげだった。ソ連は国連軍を承認する最初の決定のすべてがなされた一九五○年八月まで、安保理には戻らなかった。いったんソ連が戻り、拒否権を発動し、更なる行動を妨げると、確固とした法的基盤はなかたが、アメリカの創意工夫はいわゆる平和のための結集決議を生み出した。それによって、もし安保理が機能不全に陥った場合には、総会が紛争の審議を引き受ける権限を持つこととなった。-略-」

アイクとJKF……。下「」引用。

「ジョン・F・ケネディ政権は、アイゼンハワーの「大量報告」戦略、すなわち、彼がかつて連邦議会の指導者たちのグループに説明したように、「もしやつらが何かを開始すれば、大急ぎで爆弾をお見舞いしてやる」という戦略とはまったく異なる一連の核戦略を展開した。「柔軟な反応」というこの新たなドクトリンは、より複雑で微妙なものであり、また核兵器に対する統制の極めて大幅な集中を必要とした。-略-」

IAEA……。下「」引用。

「アメリカとソ連の共同支援で、一九五七年七月にの創設されたIAEAは、受託機関というよりもむしろ情報センターとして活動したために、アイゼンハワーの提案とは異なっていた。しかし、受入諸国は、核物質会計の監査や様々な監視技術、そて国際的支援によって設置された施設の現地査察を含む、IAEAの予防手段を受け入れるよう要求された。」

INDEX

ICCアメリカ離脱。下「」引用。

「ユニラテラリズム教義が再生する兆候は第一期レーガン政権にさかのぼる。すなわち、国連分担金の支払いを保留し、ニカラグアとアメリカの係争事例で振りな裁定が出た際、国際刑事裁判所(ICC)から脱退し、民主・共和両党の大統領が長年交渉してた海洋法条約を拒み、ブレトンウッズの諸制度[IMF・世界銀行]を攻撃し、核抑止についても、軍備管理についても、深く矛盾した態度を示した。-略-」

エッソをボイコット! 下「」引用。

「ヨーロッパの活動家集団は、彼ら自身で、京都議定書の最も強固な反対派の一つ、エクソン・モービルの子会社、エッソに対するボイコットを組織した。-略-」

「ミニ京都法案」をつくる州……。下「」引用。

「同時に州政府間では、アメリカの半数以上に及ぶ州が、これまでにいわゆる「ミニ京都法案」を導入し、州に依拠したCO2規制の枠組みを目指している。」









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