磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

子ども収容所-ポーランド 戦争と子どもたち-

2009年05月29日 | 読書日記など
『子ども収容所-ポーランド 戦争と子どもたち-』
   桝田武宗・著/径書房1989年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「人間を狂わせるもの、戦争
ポーランドの子どもたちを襲ったのは、その実証の一つにすぎない。だが、誰がこれを許すことができようか。惨! 惨!」



ナチスも日本軍と同様だが……。下「」引用。

「ジュネーブ協定というものがあって、戦争での捕虜はその階級に従って、それ相当の待遇を受けられることが決まっているにもかかわらず、この戦闘で捕虜になった大部分の将校、兵士は、バルト海の浜辺で銃殺されてしまった。
 なぜなら、ナチスは国家の壊滅、民族の根絶という目的を遂行するため、すべての国際条約、協定、保障を無視するという方針をとっていたからである。」

しかし、アメリカも似たようなものだとボクは思います……。
--戦争では、きれいごとでは、いくつ命があっても足らないだろう……。

空襲……。下「」引用。

「一九三九年九月一日にナチス・ドイツのポーランド侵攻が始まるとすぐに、ポーランドの主要都市、ワルシャワ、クノト、ポズナニ、グダニスクに空襲が行なわれたのはいうまでもない。
「-略-ワルシャワの空にドイツ軍の飛行機が現われて爆弾を落としました。それは四時間も五時間も続きました。家族はみんな地下室に隠れていました。爆撃は昼も夜も続いたのです。」

絞首刑を描いた子ども……。下「」引用。

「私がこの画集に関心を持ちはじめてしばらくして、あの画を描いた何人かの消息がわかったというニュースがボグスロウさんを通じて私の耳に入った。その中の一人が「ユダヤ人の絞首刑」の画を描いたステファニーさんだった。
「ユダヤ人の絞首刑」の画。私は、あのような苛酷とも言えるシーンをわずか七、八歳の時に目撃しなければならなかったステファニーさん、あのようなシーンを「画」として自分の心の中に固定しなければならなかったステファニーさんにどうしても会いたくなった。-略-」

下等な民族とレッテルを無理矢理にはり抑圧、暴力をふるうナチス……。下「」引用。

「一九三九年、ポーランドがナチスに占領されてからというもの、ボーランドの生活、宗教、文化のすべてがナチス・ドイツの民族撲滅政策に沿ったものに変えられていった。
 ナチスは、ポーランド人がドイツに抵抗することをあきらめさせるために、これら苛酷な占領政策をとり、「占領」という現実をポーランド国民に叩きこむ方針を打ち出していたのである。」

「子ども収容所」下「」引用。

「ナチス・ドイツは世界でも例を見ない子どもだけの収容所をつくって、多くのポーランド人の子どもたちを収容し重労働につかせ、死に追いやった。
 この「子ども収容所」がつくられた理由は、一九四一年六月にヒムラーが出した一つの法令にある。ここでヒムラーは「少年層のポーランド人違反者は(違反者とはナチスがかってに決めたことであるが)世話するべきでなく、すぐに収容すべきである」と言っている。
 しかしながら、ヒムラーは違反者の年齢を決めかねた。が、結局十六歳以上の少年は現在ある収容所に送り、七歳から十六歳の子どもたちのために新たな収容所をつくることに決めた。それが世界でも例を見ないウッジの「子ども収容所」である。」

このウッジの「子ども収容所」は、1942年12月1日に開設。

教育プログラム……。下「」引用。

「ポーランド人の子どもたちに対しては秩序、清潔、重労働を心に植えつける以外の教育は全く必要がない。知識や技術に関しては、簡単な説明書、解説書が読めて、それを理解し、正しく行なえるだけでよい。それ以上は何ごとも教えてはいけない」

収容理由……。下「」引用。

「このウッジの「子ども収容所」に、子どもたちは一体どういう理由で送られたのであろうか? ドイツ側の着ろによると収容される原因は……「公の場でうろつく」「強制労働をこばむ」「浮浪者である」「レジスタンス運動に参加している」「両親が収容所に入れられている」「両親が死んでしまっている家庭の子どもである」「肉体的にハンデキャップを持った子どもである」……などとなっている。」

こんなことをする日本軍もナチスも、とても文化人とは思えない……。






Index

Index

index

もくじ





エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。