磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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集英社新書0190 メディア・コントロール-正義なき民主主義と国際社会-

2009年06月26日 | 読書日記など
『集英社新書0190 メディア・コントロール-正義なき民主主義と国際社会-』
   ノーム・チョムスキー(著)/
     鈴木主税(訳)/集英社2003年

石原慎太郎の尊敬するチャーチル首相は毒ガスを使用していたという。



「組織的宣伝の初期の歴史」 下「」引用。

「まず、近代政府による最初の組織的な宣伝活動から始める。
 それはウッドロー・ウィルソンの政権下で行われた。
 一九一六年に、ウッドロー・ウィルソンは「勝利なき平和」を綱領に掲げて大統領選に再選された。第一次世界大戦さなかのことである。世論は平和主義一色で、ヨーロッパの戦争にアメリカがかかわるいわれはないとされていた。
 しかし実際には、ウィルソン政権は戦争に関与していったので、何らかの措置を講じる必要が生じた。政府主導の宣伝委員会--いわゆる「クリール委員会」--が設立され、半年足らずでみごとに平和主義の世論をヒステリックな戦争賛成論に転換させた。-略-」

現代政治学の主流は差別主義……。下「」引用。

「「体制の神学者」とも呼ばれ、ジョージ・ケナンやケネディ政権の政策に大きな影響をおよぼしたニーバーによれば、理性はきわめて限定された技能なのだというう。これをもっている人間はごく少数であり、大半の人間は感情と衝動に突きうごかされて行動している。理性をもった人間は「必要な幻想」をつくりだし、人の感情に訴える「過度の単純化」を提供して、純真な愚か者たちを逸脱させないようにしなければならない。これが現代政治学の主流となった。-略-」

嘘をつくと正当化してごまかそうとする……。

「広報(Public Relations)」 下「」引用。

「広報(PR)産業を開拓したのはアメリカである。
 業界の指導者たちも認めるように、その目的は「大衆の考えを操作する」ことだった。彼らはクリール委員会の成功や、「赤狩り」とそれにつづく世論形成の成功に多くを学んだ。
 広報産業は巨大になり、一九二○年代に大衆が企業の原則にほぼ全面的にしたがうまでになった。-略-」

反論しない民主党……。下「」引用。

「こうした疑問が話しあわれることはなかった。うまく機能している宣伝システムにとって、それは絶対に話しあってはならないことだったのだ。だから、共和党全国委員会の責任者は、民主党が政権についていたら、クウェートは解放されていただろう、当時はたしかにチャンスがあったのだから、自分はそれを追及していただろう、そうすれば一万人が殺されることもなく、環境破壊もなく、クウェートは解放されていただろう、とは言わないのである。-略-」

アメリカのだらしない態度。下「」引用。

「七五人を殺害したイスラエルによるチュニス爆撃だ。これについて、イスラエルの新聞に敏腕記者による惨禍の報告がいくつか載せられている。アメリカは暗にこの残虐行為に加担していた。同盟国のチュニジアにたいし、爆撃機が攻撃に向かっていることを知らせなかったのだ。
 国務長官ジョージ・シュルツは、ただちにイスラエル外相イツハク・シャミールに電話をかけて、アメリカがこの行為に多大なる共感を寄せている旨を知らせた。だが、のちにシュルツはこの国際テロへの公の支援を取り下げる。棄権したアメリカを除いて、安全保障理事会は満場一致でこれを武力による侵略行為として糾弾したからだ。-略-」

J.F.ケネディ神話を笑うチョムスキー。
そして、ベトナム戦争を反対しなかったアメリカの知識人の欺瞞を非難。

ラッセル(英国)とサルトル(仏国)は反対した。下「」引用。

「チェムスキー バートランド・ラッセルは当時八○代でした。彼は非常に強固に立場を貫き、断罪されました。アメリカ中で憎悪され、罵倒されたのです。批判に対する反論さえ、ニューヨーク・タイムズは受け付けなかった。ひどい悪事を働いたかのように咎められた。ジャン=ポール・サルトルもいつくか声明を出しましたよ。私も署名しました。ふたりして共同声明を出しましたが、まったく無意味だった。だって、たったふたりの知識人が一緒に声明文に署名したからといって、何になりますか? それに、あれは随分たってからの行動だった。一九六三年ではありませんでした。ヴェトナム戦争に反対なんて事実上はなったんですよ。もちろん、市民の反対運動はありました。しかし知識人のなかにはなかったのです。非常に限られた反戦運動しかありませんでした。-略-」

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「核兵器は不可欠」 下「」引用。

「なぜなら、化学兵器や生物兵器は効果が薄く、あまり劇的でもない。それに引きかえ、核兵器の及ぼす影響は甚大です。そのうえ、核兵器は非常に不気味です。だからこそ、作戦の中核に必要なのです。核兵器は常に背後においておかねばならい。背後にあることがわかっている限り、恐れられるからです。実際には使わなかったとしても、外交にの影響を及ぼすことはできる。だから、作戦の中核に核兵器がないと困るわけです。(ブッシュ政権の軍事政策は)クリントンの構想といくら違っているところもあるが、大差はありません。-略-」

チャーチルと毒ガス。下「」引用。

「インド省からは反対がありました。毒ガスを使うのは立派なことではないと。チャーチルは激怒しました。「未開人たちに毒ガスを浴びせるのは気分がよくないという心境は理解できん。それが多くのイギリス人の命を救うのだぞ。これは優れた科学の成果なのだ」
 第一次大戦後の話です。毒ガスは残虐の極みですが、クルド人やアフガン人相手ならそうではなかった。当時、空軍力はようやく出はじめたところでした。そこでイギリス軍は空軍力を一般市民に投入することにした。中央アジアの一帯、アフガニスタンやイラクなど爆撃しはじめたのです。
 当時も軍縮会議はありました。軍縮会議のたびにイギリスが心を砕いたのは、空軍力を市民に行使することに対して、いかなる障害も持ち上がらないようにすることでした。首尾よくやり遂げたとき、イギリスの偉大な政治家ロイド・ジョージは、政府代表を称えて日記に書いた。「ニガーに爆弾を落とす権利は守られなければならない」と。これがロイド・ジョージの姿です。-略-」

毒ガスを使ったチャーチル……。下「」引用。

「第二次大戦後の東京裁判が行われたのは、日本が負けたからです。ワシントン裁判などというものは開かれませんでした。毒ガスを使ったチャーチルに対する戦争裁判もありませんでした。敗れたときだけ、自らの罪を見つめる。そのようにし向けられるのです。-略-」

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米英仏は……。下「」引用。

「例えば、フランスを例にとってみましょう。アルジェリア独立戦争の際、フランスの国防相は「我々はいま原住民を撲滅している」といった。これが当たり前でした。ベルギーはおびただしい数の人を殺している。これはことさら驚くような数字ではありません゜。
 だからアメリカが盛んに空爆するのも驚くにはあたらない。いたって普通のことなのですから。弱い人たち、貧しい人たちをそうやってあしらってきたのです。何もいまさら驚くことではありません。」

対米盲従構造……。下「」引用。

「占領経費やその他の犯罪のつけをアメリカに支払う。アジアの人々には支払わない。アジアに対しては何も提案されませんでした。それは日本が、誰もが知るところの真の戦争犯罪人のもと、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建しようとしていたからです。それも、アメリカの覇権の枠組みの中で。
辺見 同時に締結された日米安保条約とともにサンフランシスコ体制という、日本の対米盲従構造をつくりました。これが今日も続いています。」

さすが、チョムスキーという本でした。






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