『脱!プルトニウム社会』
西尾漠・著/七つ森書館1993年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「--プルトニウム海上輸送によって、日本はついにプルトニウム社会に突入した。秘密と管理に満ちたこの社会から、どうすれば脱け出せるのか。プルトニウム利用計画を徹底的に批判! 安全で環境を傷つけないエネルギー政策を提案し、脱プルトニウム社会を展望する。」
プルトニウムは“ゴミ”……。下「」引用。
「再処理をしてプルトニウムを取り出しても、そのプルトニウムは、“ゴミ”とまで呼ばれ、ゴミの償却に苦労している。高速増殖炉にしたところで、先ほど見たように、増殖はさせずに燃やすだけなら、やはり「ゴミ焼却炉」だろう。近ごろでは、高転換軽水炉だの何だのと、新手の焼却炉が名乗りをあげている。解体される核兵器から生じる分も含めるとプルトニウムの大過剰は目に見えていて、それだけゴミの始末に困っているということだ。ならば、再処理をしなければよい。」
ゴミでも最悪な負債ですね……。
「プルトニウム帝国の非人間性」
--「ホモ・アトミクス」と名付けている……。下「」引用。
「「国策の原子力開発に反対する奴は犯罪者扱いする位の、国家安全保障意識があってもいい」と、七九年八月二十五日付電気新聞の「焦点」は書いている。
誰が原子力開発を国策と決めたのかは知らないが、その前提をひとたび認めてしまえば、どのような極論であれ受けいれなくてはならなくなってしまうようではないか。そんな原発なんかいらない、と反原発運動は宣言する。」
ドイツでも、どこの国でもファシズムをその根にしているという……。
ドイツはその根を切ったそうです……。ドイツでいえばナチス。そして、ネオ・ナチですね。
--靖国の一部の人たちを、ネオ・ナチの日本版とも言う外国人もいます。
ファシズムを反民主主義とここでは定義しています。
--「公害と原発のあるところに民主主義はない!」
そして犯罪という人たちもいる。
地震について。下「」引用。
「原子力安全委員の都甲泰正東大教授はかつて、大地震が起こっても「発電所がひん曲がるにしろ全部、壊れることはないと思います」と語っていたが、原発なり核燃料サイクル施設などがひん曲がったらどうなるかは、想像したくもない。
そこで「日本ではマグニチュード八・六以上の地震は起こらない」と、日本原子力文化振興団では宣言している。そんな保証はどこにもないし、マグニチュード八・六の地震で大事故が起きないわけでもない。」
--キャンペーン「原子力の日」。下「」引用。
「七六年十月二十六日のこの日、全国紙、ブロック紙はもとより、ほぼすべての地方紙に全一○段(三分の二ページ)の、科学技術庁の大きな「政府広報」が掲載された。ちなみに政府広報とは、各省庁独自のものではなく、内閣広報室の戦略にもとづき、総理府広報室の予算を使ってつくられる広告の謂だが、ほかにも、週刊各誌や【文芸春秋】、さらに婦人誌など、例年にもまして原子力広報の「政府主導」ぶりがうかがわれる。電気事業連合会が月例の新聞広告も休んでいるのに対し、科学技術庁では「明日をひらく原子力」のポスターを全国の学校や地方自治体に張り出し、美麗なパンフ・シリーズ『みんなで見よう』の七六年版「原子力と日本」を発行した。」
「「記事」なのか「広告」なのか」のタイトルの文章……。下「」引用。
「テレビの政府広報番組では、十月二十四日の総理府提供「日本のひろば」(TBSネット)が「原子力研究所ルポ」を、同じく、「にっぽんレポート」(NTVネット)が「これが原子力医療だ」を、また十一月七日の機械工業振興会提供・通産省協賛「すばらしい明日に」(東京12チャンネルネット)が、「どうする! 電気がとまったら」を放映している。-略-」
まだまだ続きます。
--大手マスコミはかなりの利益を得ていることでしょう……。
ドイツのことも書かれてありました。下「」引用。
「「脱原発」なる言葉は、ドイツが発祥の地だという。いつからかは聞き漏らしたが、「原発から降りる」といった表現か使われだしたらしい。すでに二○基近い原発か運転されていたなかで、具体的に原発社会から抜け出そうとする模索がはじまったのだ。-略-
ドイツでは、さまざまな具体的な脱原発の提案が発表され、九三年二月から、与野党の間で合意のための話し合いがはじまった。」
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目 次
西尾漠・著/七つ森書館1993年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「--プルトニウム海上輸送によって、日本はついにプルトニウム社会に突入した。秘密と管理に満ちたこの社会から、どうすれば脱け出せるのか。プルトニウム利用計画を徹底的に批判! 安全で環境を傷つけないエネルギー政策を提案し、脱プルトニウム社会を展望する。」
プルトニウムは“ゴミ”……。下「」引用。
「再処理をしてプルトニウムを取り出しても、そのプルトニウムは、“ゴミ”とまで呼ばれ、ゴミの償却に苦労している。高速増殖炉にしたところで、先ほど見たように、増殖はさせずに燃やすだけなら、やはり「ゴミ焼却炉」だろう。近ごろでは、高転換軽水炉だの何だのと、新手の焼却炉が名乗りをあげている。解体される核兵器から生じる分も含めるとプルトニウムの大過剰は目に見えていて、それだけゴミの始末に困っているということだ。ならば、再処理をしなければよい。」
ゴミでも最悪な負債ですね……。
「プルトニウム帝国の非人間性」
--「ホモ・アトミクス」と名付けている……。下「」引用。
「「国策の原子力開発に反対する奴は犯罪者扱いする位の、国家安全保障意識があってもいい」と、七九年八月二十五日付電気新聞の「焦点」は書いている。
誰が原子力開発を国策と決めたのかは知らないが、その前提をひとたび認めてしまえば、どのような極論であれ受けいれなくてはならなくなってしまうようではないか。そんな原発なんかいらない、と反原発運動は宣言する。」
ドイツでも、どこの国でもファシズムをその根にしているという……。
ドイツはその根を切ったそうです……。ドイツでいえばナチス。そして、ネオ・ナチですね。
--靖国の一部の人たちを、ネオ・ナチの日本版とも言う外国人もいます。
ファシズムを反民主主義とここでは定義しています。
--「公害と原発のあるところに民主主義はない!」
そして犯罪という人たちもいる。
地震について。下「」引用。
「原子力安全委員の都甲泰正東大教授はかつて、大地震が起こっても「発電所がひん曲がるにしろ全部、壊れることはないと思います」と語っていたが、原発なり核燃料サイクル施設などがひん曲がったらどうなるかは、想像したくもない。
そこで「日本ではマグニチュード八・六以上の地震は起こらない」と、日本原子力文化振興団では宣言している。そんな保証はどこにもないし、マグニチュード八・六の地震で大事故が起きないわけでもない。」
--キャンペーン「原子力の日」。下「」引用。
「七六年十月二十六日のこの日、全国紙、ブロック紙はもとより、ほぼすべての地方紙に全一○段(三分の二ページ)の、科学技術庁の大きな「政府広報」が掲載された。ちなみに政府広報とは、各省庁独自のものではなく、内閣広報室の戦略にもとづき、総理府広報室の予算を使ってつくられる広告の謂だが、ほかにも、週刊各誌や【文芸春秋】、さらに婦人誌など、例年にもまして原子力広報の「政府主導」ぶりがうかがわれる。電気事業連合会が月例の新聞広告も休んでいるのに対し、科学技術庁では「明日をひらく原子力」のポスターを全国の学校や地方自治体に張り出し、美麗なパンフ・シリーズ『みんなで見よう』の七六年版「原子力と日本」を発行した。」
「「記事」なのか「広告」なのか」のタイトルの文章……。下「」引用。
「テレビの政府広報番組では、十月二十四日の総理府提供「日本のひろば」(TBSネット)が「原子力研究所ルポ」を、同じく、「にっぽんレポート」(NTVネット)が「これが原子力医療だ」を、また十一月七日の機械工業振興会提供・通産省協賛「すばらしい明日に」(東京12チャンネルネット)が、「どうする! 電気がとまったら」を放映している。-略-」
まだまだ続きます。
--大手マスコミはかなりの利益を得ていることでしょう……。
ドイツのことも書かれてありました。下「」引用。
「「脱原発」なる言葉は、ドイツが発祥の地だという。いつからかは聞き漏らしたが、「原発から降りる」といった表現か使われだしたらしい。すでに二○基近い原発か運転されていたなかで、具体的に原発社会から抜け出そうとする模索がはじまったのだ。-略-
ドイツでは、さまざまな具体的な脱原発の提案が発表され、九三年二月から、与野党の間で合意のための話し合いがはじまった。」
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