磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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地獄を見た少年-あるアメリカ人のナチ強制収容所体験-

2009年10月07日 | 読書日記など
『地獄を見た少年-あるアメリカ人のナチ強制収容所体験-』
   B.スパンヤード(著)/大浦暁生、白石亜弥子(訳)/
     岩波書店1986年、87年4刷

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「地獄を見た少年--あるアメリカ人のナチ強制収容所体験--
10代の米国少年がナチ収容所の実態を見た!
ナチ・ドイツ占領下のオランダ、家畜運搬車で強制収容されたユダヤ人たち、アメリカ国籍ゆえに13回までは逮捕を逃れたバリー少年もついに、オランダ人の両親とともに囚われ、酷寒の北ドイツ、この世の地獄を見た、汚辱と死、残虐と狂気。辛くも捕虜交換用の外国人として死を免れ、米国へ脱出した16歳の記録。収容所家の写真、関係書類など、迫真の証拠とともに発表された、数奇な運命。」



アンネの父であるオットー・フランクの妻(義理母)?が推薦文をよせている。下「」引用。

「-略-アンネ・フランクと同じ年齢で近くに住んでいた少年が、強制収容所ですごした体験を書いたことに、わたしはたいそう驚き、心を動かされました。
  一九八三年九月 スイス、バーゼルにて
     オットー・「フリツィ」・フランク夫人」

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16歳で書いた。下「」引用。

「-略-一九四六年ヴァージニア州の一陸軍学校生徒だったバリー・スパンヤードが、宿題をしているふりをしながら書いた単なる回想記だ。そのときバリーはわずか十六歳。教官も同室の生徒たちも、彼が何を書いているのか知らなかった。バリーはただ机に向かって、からだからほとばしり出る言葉を書きとめた。」

アメリカ生まれ国籍を持つ。下「」引用。

「アメリカ生まれでオランダに住むぼくは、自分がみんなと違うような気がしていた。アメリカのことにいつも強い好奇心を抱いているよそ者なのだ--。当時ラジオでよく聞く流行歌で、人びとが街を歩きながら歌ったり口笛を吹いたりしている歌に、アンドルーズ・シスターズの「わがそばにきみはうるわし(バイ・ミール・ピスト・ドウ・シエーン)」があった。これがアメリカの歌だとわかってぼくは胸をおどらせ、ぼくの国の歌なんだ、とみんなに言いたい気持ちだった。」

盲人の「ユダヤ人狩り」……。下「」引用。

「ぼくは一九四二年十月十九日はいつまでも忘れないだろう。その日「勇敢な」ドイツ軍憲兵隊員たちが、アムステルダイク大通りの盲人ホームを急襲することにしたのだ。盲人たちは敷物やブラシなどの日用品を作って売り、国家の世話にならないで自立した生活をしていた。全員が五十代から六十代のユダヤ人だった。だがこれはナチにとって、百人もの無抵抗な人びとを一度に駆り集める絶好のチャンスとなった。ぼくはこの「ユダヤ人狩り(ラツイア)」が行われている最中にホームのそばを通りかかった。大男たちがまったく無防備のかわいそうな人たちの例のトラックに押し込んでいるのは、見るもあわれな光景だった。捕えられた人たちからは、その後何の便りもなかった。」

「ベルゲン・ベンゼン--選ばれた少数者」下「」引用。

「ベルゲン=ベンゼンには秘密の地下スパイ組織があり、おそらくドイツ兵さえも何人か関係していいたのではないかと思う。-略-」

収容所に入れられていた父は、病院に入院。
--葬儀の日に命令でアメリカへ。

著者の母の写真があった。下「」引用。

「この2人は一卵性双生児--これがナチのしわざだ」1945年4月22日。ニューヨークの新聞の夕刊一面にのったぼくの母とその双子の姉の写真。」









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