磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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母と子でみる34 ゲルニカ-ナチ爆撃のスペインの町-

2009年05月15日 | 読書日記など
『母と子でみる34 ゲルニカ-ナチ爆撃のスペインの町-』
   早乙女勝元・編/草の根出版会1997年

ピカソのゲルニカの絵はとても有名ですね。

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ゲルニカとはスペインの街の名前……。下「」引用。

「非戦闘員ともいうべき一般市民への無差別爆撃の歴史をさかのぼれば、ゲルニカは後の東京大空襲や広島・長崎への大量殺戮(ジェノサイト)に至る大規模都市爆撃の実験台というか、端緒(たんしょ)-略-」

レプリカだったという……。下「」引用。

「東京は池袋の東武美術館で見ることのできたピカソ展は、正確には「ピカソ-愛と苦悩-ゲルニカへの道」展という。-略-残念ながら原寸大のレプリカであり、写真複製だった。
 なんと、縦三・五メートル」

「日本軍が錦州(きんしゅう)爆撃が先だった」 下「」引用。

「ナチのゲルニカ爆撃より六年前、一九三一年九月に、日中戦争の最初の導火線というべき「満州事変」が勃発した。-略-
 同年一○月、日本陸軍航空隊は八八式偵察機を主力にして、遼寧省の錦州を爆撃した。一一機編隊が七八発の爆弾を投下した。目標とされた町に、中国側の東北防衛軍張学良が集結していたのは事実だったが、投下弾の半分以上は兵営ではなく、市街地の病院や学校などに被弾し、市民を主に二四名からの死傷者を出したことで、国際的な批難が日本に集中したのだった。
 錦州を振り出しにして、日本機による中国諸都市への無差別爆撃はさらに頻度を増し、特に一九三七年七月、「支那事変」を契機に日中全面戦争へ突入すると、国際批判もなんのその、もう歯止めはきかなくなった。」

ロバート・キャパの写真。下「」引用。

「決定的な瞬間をとらえた代表作は、たしか「崩れ落ちる兵士」としてあったと覚えているが、一九三六年九月、スペイン南部のコルトバ近くで撮されたということだった。」

芸術家たちが、戦争をテーマにしたという。下「」引用。

「また作家でも、フランスからアンドレ・マルローガ、アメリカからはヘミングウェーが、またイギリスからジョージ・オーウェルが、国際義勇軍の一翼を担って戦場へと向かった。かれらはそれぞれ『希望』『誰がために鐘か鳴る』『カタロニア讃歌』などの忘れがたい作品を世に残したが、たった一人の日本人がスペインの戦場へ飛び込み、ロバート・キャパのあの写真さながらに死んだのを知っている人は、そう多くはない。」

「日本人ジャック白井のこと」 下「」引用。

「『スペインで戦った日本人』
 そんなタイトルの一冊を見つけたのである。著者は戦争中アメリカで過ごした女性評論家の石垣綾子だが、スペイン戦争に参加して死んだ友人、ジャック白井のことを書いている。
「へえっ、そんな日本人もいたのか展」
 と、私は一声を上げたくなった。
 日本人白井については、『スペイン国際旅団の青春』(川成洋著)にも紹介されている-略-」







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