磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

朝鮮人徴用工の手記

2008年02月05日 | 読書日記など
『朝鮮人徴用工の手記』
   鄭忠海・著/井下春子・訳/河合出版1990年

ある一人の日本人に対して、恩人などといえる心にゆとりのある人が書かれた本といっていいのではないでしょうか?



東洋工業に徴用されたという。下「」引用。

「長い年月を経過したが、生涯忘れることが出来ない思い出なので書き残しておこうと思う。
 一九四四年末、敗戦の色濃くなってきた日本は、朝鮮の青年男女たちをいろいろな名目で徴用して、東南アジアの戦場に、軍需工場に、あるいは炭鉱にと動員していた。私も同年十二月初め、徴用され、日本の広島市仁保(にほ)町向洋(むかいなだ)にある東洋工業株式会社に配属された。
 東洋工業は、戦前“マツダ(松田)”という三輪オートバイを製作していたが、戦争が起きると九九式小銃を作る軍需工場に姿を変えたという。」

女子挺身隊として徴用された女性たち。下「」引用。

「年ごろの娘たちも女子挺身隊の美名のもと、各戦線に動員されるなど戦局は緊迫していた。聞くところによれば、女子挺身隊として動員された乙女たちは、戦場で軍人の慰安婦にされたという。」

日本人ではこれを否定する人たちがいます。

--広島原爆投下による『きのこ雲』を四国の料亭で見ていた中曽根康弘。
料亭で働いていた芸者たちは、女子挺身隊として、そのまま居残り、芸者の仕事をしていたという本もあったと思います。
また、女子挺身隊でも、愛人のようなことをさせられた人たちは、裕福な生活ができたと書く本もありました……。少し優遇されたにすぎませんが、当時飢えていた庶民との差は大きいかもしれません……。

原爆に被爆。下「」引用。

「時刻は八時十分過ぎころ。西側の比治山山頂を眺めていると、稲光りでもない閃光がピカッと光った。真っ暗な夜中に空中から落ちる照明弾のようでもある。光った瞬間、目の前が真っ暗になり、顔がほてって熱く、バリバリという音だけが聞こえる。意識を失ってその場に倒れてしまった。」

命の恩人……。下「」引用。

「私はの命の恩人が岡田和江さんだというのは、本来なら私も広島方面に疎開作業にでて、重火傷を負っていたのが、火を見るよりもあきらかだ。私が今この手記を書けるのも、むろん岡田さんのお陰だ。彼女こそ私の恩人であると同時に、我が家門の恩人である。」

韓国には死者どうしの結婚「冥婚」の慣習があるという。
--工場で死んだ男女は交互に並べられて焼かれたという。
しかし、工員には女性が多かったという。

検索してみると、日本にもあるようです。







index

目 次





エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。