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朝日親書057 石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」

2008年11月25日 | 読書日記など
『朝日親書057 石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』
   岩間敏・著/朝日新聞社2007年

今も昔も石油で困る日本人……。



経済戦争というのが、経済制裁であるという。下「」引用。

「経済制裁は過去も現在も外交政策・手段の重要なカードの一つであり、その実施は軍事的な衝突直前の「経済戦争」である。」

大本営は楽観的だったという……。下「」引用。

「米国の「石油禁輸」が行われる五日前の『大本営機密日誌』には、「戦争指導班は資産の凍結を石油の禁輸とは思わず、米国はせざるべしと判断す」と、いまから見ると驚くほどの楽観的な記述がある。」

今も政府のお役人は気楽そうですね……。

1937年、東京市のバスは、木炭自動車に変わったという。

木炭自動車を開発したそうです……。下「」引用。

「出力がガソリン自動車に比べて低下する木炭自動車への切り替えは進まず、この制度を利用した木炭自動車は、昭和九年度でわずか一八台、十年度は三二台、十一年度は一八台にとどまっていた。昭和十年に「三菱重工業」が木炭自動車の製造を開始したのに続いて、米国製乗用車フォードのV8ガソリンエンジンにも木炭ガス発生装置の取り付けが行われた。この木炭自動車の普及は、昭和十二(一九三七)年七月の日華事変の始まりとともに国策として推し進められていくことになる。
 当時、マイカーを保有する人は少なく、バスが市民の足であった。昭和十二年二月の『大阪朝日新聞』の記事「ガソリンの高騰で木炭バス出現」では、「神戸の大石-須磨間、片道一五キロの路線を運行する木炭バスは、木炭二俵(八貫)で三往復可能」と、木炭自動車の実態を紹介している。」

軍需省などをつくったというが……。下「」引用。

「昭和十四年の「石油独占販売法」の成立-略-昭和十二年七月、新たに商工省内に燃料局が設置された。陸海軍と民間の石油需要の調整と配分は企画院が行った。昭和十八年十一月、企画院と商工省が廃止・統合されて「軍需省」が創設されている。軍需省の初代大臣は、首相を兼務する東條英機大将、初代次官は岸信介(のぶすけ)前商工相であった。この人事は岸(無任所国務相兼務)の降格人事であったが、彼はサイパン島が陥落した後に起こった東條内閣打倒運動(昭和十九年七月)の中心的人物となる。降格人事の遺恨も一因といわれている。東條大将は総辞職の後、直ちに予備役に編入された。」

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昭和十四(一九三九)年三月、駐エジプトの横山正幸公使、商工省の三土知芳技、中野英治郎エジプト公使館員がサウジアラビアを訪問。

前年、油田が発見されていたという。
しかし、サウジアラビアの国王が選んだのはアメリカ。
日本には領土的野心がある……。

昭和十三(一九三八)年十二月、重慶爆撃。禁輸となる。下「」引用。

「ルーズベルト米大統領は「無差別爆撃は戦時国際法違反」と激しく抗議した。この都市に対する戦略爆撃は、のちに、連合軍によってドイツや日本への都市爆撃に応用される。このあと、米国の対日制裁は石油、特に航空機ガソリン、潤滑油を中心に次々と発令されていく。」

空襲で石油施設も壊滅されたという。

大豆の臭いがしたという……。下「」引用。

「小林大佐の手記「戦艦大和の沖縄突入作戦について」によると、-略-駆逐艦へ給油された重油には満州産の大豆油が混合されていたため航行時に大豆の臭いがしていたという。









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