磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ハイチ復興への祈り-80歳の国際支援-

2011年04月20日 | 読書日記など
『ハイチ復興への祈り-80歳の国際支援- 岩波ブックレット No.794』
   須藤昭子・著/岩波書店2010年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「希望がないからこそ希望を持つしかないんです
貧困と病にあえぐ国を大地震が襲う--国際支援の現場から送る、魂の言葉」



ハイチ大地震。下「」引用。

「二○一○年一月に起きたハイチ大地震をきっかけに、ハイチという小さな国の存在が日本でも広く知られるようになりました。二○万人以上が亡くなり、三○○万人以上が被災するという深刻な被害を招いた背景には、ハイチガもともと世界有数の貧しい国で、衣食住にわたる生活の基盤がきわめて脆弱だったことがあります。今でこそ各国からさまざま支援が寄せられていますが、ハイチは長い間、国際社会からほとんど忘れられた国でした。」

著者は結核専門医として1976年に、ハイチへ。

奴隷……。下「」引用。

「ハイチは中米のカリブ海に浮かぶエスパニョーラ島という、コロンブスが「発見」したことで知られる島の三分の一を占め、かつては《カリブ海の真珠》と呼ばれる豊かな土地でした。アフリカから奴隷として釣れてこられた人たちが、二○○年も前に植民者だった白人を追い出して最初の黒人共和国として独立したという立派な由来がありながら、そのあとがたいへんです。政治の不安定などいろんな混乱があって、人びとの暮らしも何もかも破壊され、いまや西半球でもっとも貧しい国になってしまいました。」

ハイチで医療活動をするには現地の医師免許が必要。

著者は朝鮮半島で生まれ育ったという。

大阪女子医専(大阪女子高等医学専門学校、現在の関西医科大学)に卒業した著者。

広島へ。下「」引用。

「やがて広島の祖母の家が原爆の被害を免れたとわかると、広島に向かいました。広島の町は、見渡す限り何もかも焼けて荒野のようでした。何もなく、だれもいない町を、焼け残った線路沿いにひたすら歩いた記憶だけが残っています。-略-」

Index

「日本の若いみなさんへ」 下「」引用。

「日本に帰ってきてびっくりしたのは、何人もの若い人から、「私たちには希望がありません」という言葉を聞いたことです。ハイチだって希望のある世界ではありません。もともとひどく貧しく苦しいところが、こんどの地震でもっとめちゃくちゃになった。そういう事実を見れば、希望は日本より、もっともっとないでしょう。でもハイチの人たちは希望を失っていない。希望がないからこそ、希望を持つしかないんです。私が医療や植林の活動を通じて彼らに伝えてきたのは、こんなところに希望があるんじゃないのか、ということでした。-略-」






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