磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

グッドバイ ロンゲラップ!-放射能におおわれた島-

2008年05月06日 | 読書日記など
『グッドバイ ロンゲラップ!-放射能におおわれた島-』
   豊崎博光・著/築地書館1986年

英文併記の写真集です。
この本を読んでいて、ビキニ環礁とエニウィトク環礁環礁の違いがわかりました……。最初のアメリカの水爆実験はエニウィトク環礁だったという。地理も音痴のボクです。

裏表紙

「プロローグ」に書かれてあります。下「」引用。

「人類の幸福と世界の戦争を終らせるために……」
1946年3月、ビキニ環礁を核実験場に選んだアメリカは、そう言ってビキニ島民を追いだした。
翌1947年、アメリカはエニウィトク環礁を新たな核実験場とした。
ビキニでは、1946年から58年まで、3回の水爆を含む23回の原水爆実験が行なわれた。
エニトゥエクでは、1948年から58年まで、3回の水爆を含む43回の原水爆実験が行なわれた。」

アメリカは『原爆神話』をつくり、『原爆実験パラダイス』をつくりあげるが、そんなことはウソであった……。

index

ロンゲラップ島には82人が住んでいたという。下「」引用。

「第五福竜丸が操業していた所からわずか20キロ東のロンゲラップ島には、当時4人の妊婦を含む82人がすんでいた。」

・スコールは、島民たちが水を得る唯一の機会であったという。

子供たちに変化が見られたという。下「」引用。

「80年代になると“生れつき心臓や灰が悪い”、“身長が伸びない”といわれる子供たちが、多くみられるようになった。」

身長が伸びないのは、甲状腺異常からだという。

アメリカは植民地をつくらかったというが、これでは植民地の方がマシだとさえボクには思えてしまう……。下「」引用。

「◎マーシャル諸島を含むミクロネシアとよばれる島じまは、1947年以来、アメリカが国連信託統治の名のもとに官吏し、とくに核実験周辺は1958年まで“閉鎖区”として関係者以外の立ち入りをいっさい禁止していたため、ロンゲラップ島民について知ることは困難だった。1970年、当時共同通信社ハワイ特派員だった斉藤達雄氏の現地取材、71年の原水爆禁止日本国民会議代表団による現地調査によって、はじめてロンゲラップ島民の被害の実情が日本に知らされた。」

そして、このメッセージも多くの人が受け止めないといけないことですね。下「」引用。

「◎死の灰と残留放射能にいまなお体をむしばまれているロンゲラップ島民は、私たちに重要な警告のメッセージをおくりつづけている。“放射能に安全値はない。放射線はわれわれの将来をもむしばむ”と。しかしこの警告に関心を示す人も、ロンゲラップ島民に思いをめぐらせる人もほとんどいない。」

アメリカは援助もしなかった。下「」引用。

「◎島民は自らの意志で移住を決めたが、そのための金も船もないため、アメリカ政府に移住の資金援助を頼んだ。しかし援助は得られず、移住の船を捜しているとき、「グリーンピース」が持船「虹の戦士」号の提供を申しでてくれたのだった。」

新たな生活-移住地メジャト島。下「」引用。

「◎島民が移住したメジャト島は、面積0.4平方キロで、故郷のロンゲラップ島の10分の1の広さに満たない。広い礁湖が広がっているが、一部を除いてはいつも波が高く、魚はとりにくい。また食料となるヤシの実やパンの実、ゴザを編むのに必要なタコの木も少ない。唯一の利点は、マーシャル諸島の島では珍しく塩分を含まない地下水が出ることである。水やヤシの木が豊富にあって、波の静かな広い礁湖をもつ生活環境の良い島はどこもすでに人が住んでいた。」


関連記事

関連記事





index

index

もくじ

目 次





エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。