磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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反原発の思想史-冷戦からフクシマへ- 筑摩選書 0034

2012年03月18日 | 読書日記など
『反原発の思想史-冷戦からフクシマへ- 筑摩選書 0034』
   〓(*糸ヘンに圭=(読み=すが)秀実・著/
     筑摩書房2012年

表紙の裏に書かれてありました。下「」引用。

「日本の反原発運動は、毛沢東理論の「誤読」による近代科学批判が大きな転機となった。それが「1968年」を媒介にニューエイジ・サイエンスやエコロジーと結びつき、工作舎や「宝島文化」を背景にしたサブカルチャーの浸透によって次第に大衆的な基盤をもつようになったのである。複雑に交差する反核運動や「原子力の平和利用」などの論点から戦後の思想と運動を俯瞰し、「後退りしながら未来へ進む」道筋を考える。」



「長崎の鐘」何をいいたいのか意味不明……。下「」引用。

「今でもナツメロ番組で歌われることのあるサトウハチロー作詞の歌謡曲「長崎の鐘」には、原爆を投下される記述がない。」

中国派除名。下「」引用。

「しかし、中国に文化大革命が発動される一九六六年には、日本共産党は中国共産党からも離れ、「自主独立」を掲げることになる。共産党内の中国派は除名され、小組織に分解していった。」

中上健次。下「」引用。

「中上健次は、一九八一年の「文学者の反核声明」に際しては、それを「原爆ファシズム」と言って批判したが(「鴉」)、一九六三年の高校時代には、故郷・和歌山県新宮での大江健三郎の講演を聞き(当然、『ヒロシマ・ノート』を読んだであろう)、一九六六年八月広島の「原水禁」大会を訪れたという(中上健次「現代についてのエチュード」、高澤秀次「中上健次年譜」)。
 この奇妙は捩れはどういうことか。『ヒロシマ・ノート』は、明らかに「戦後」というバースベクティヴのもとで書かれており、大江は自身も明言するように、「戦後民主主義」の息子である。」

大江は原発賛成だったころがある。下「」引用。

「『ヒロシマ・ノート』の大江でさえ、『核時代の想像力』(一九七○年)では、原子力の平和利用にもろ手をあげて賛意を表明していた時代である。」

と言っても、チェルノブイリ大惨事後までしている、バカではなかった。

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岡本太郎は原発推進……。下「」引用。

「「人類の進歩と調和」をスローガンに掲げた大阪万博の開会式(三月一四日)では、関西電力の「万博の原子の灯を」のキャッチフレーズのもと、敦賀一号機から送られた電気によって、灯がともされた。岡本太郎の「太陽の塔」は、これに呼応するモニュメントだったことは火をみるより明かである。岡本太郎は、原子力エネルギーを美学的に称揚する美術家であった(拙稿「『太陽の塔』を廃炉せよ!」、市田良彦、王寺賢太、小泉義之、-略-『脱原発「異論」』)。美術家・岡崎幹二郎も言うように、「太陽の塔」は「太陽=核エネルギーを体現していた」(「芸術の条件」)からである。それは「わだつみ像」のようなものなのである。」

「太陽の塔」と反原発。下「」引用。

「しかし、「太陽の塔」を芸術として賛美し、同時に反原発を主張することは、滑稽である以上に欺瞞的なだけである。」

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「吉本隆明と毛沢東の「民話」」

責任はメディア? 下「」引用。

「吉本が「福島」以後も同様の発言を繰り返していることについては、問題化すること自体が酷であり、責任は、認知力が衰えた吉本にインタヴューしたメディアにあると考えるのが適当である。」

高木仁三郎と三里塚闘争。
怪物にたいするための担保。下「」引用。

「高木の毛沢東主義は、菅谷規矩雄という、吉本(隆明)主義が--松下昇ととに--「六八年」に生んだ『怪物』に対抗するための担保ではあったのである。」

吉本隆明が右翼へ「転向」したと書かれてある。

吉本=資本主義!? 下「」引用。

「しかし、一九八○年代にあっては、吉本は『マスイメージ論』(一九八四年)等において、消費社会や資本主義の「欲望」の肯定に向かい、従来からの読者を戸惑わせていた。」

それなら、中国もロシアも資本主義でしょうね……。

戦後思想界に大きな影響…吉本隆明さん死去(読売新聞) - goo ニュース 2012年3月16日

吉本隆明は亡くなった、予想以上に早かった。
吉本ばななのコメントがよかった。
吉本さんらしいなと思う。
娘たちという作品が残っているわけだ。
シモーヌ・ベイーユを日本に紹介した吉本隆明。
娘さんも、メジャー思考の人たちと戦うより、マイナー思考の小説かいてほしいな。おもしろかったもんね。芸術の基本はマイナー思考という人もいる。そういう意味でも、やはり吉本隆明は詩人だったんだろうなあー。

いくら吉本隆明でも、原発推進は失敗だった。
片目で、原子力ファシズムを無視して、反原発ファシズムは攻撃する。
これは、まったくの矛盾でしかない。でも……。

あの時代、左翼は今よりもかなり力があった。
全体主義の腐った奴らばかりが目についた。
恐怖政治をひいていたというわけだ。
そこで、マイナー思考の吉本隆明が登場。
全体主義ではない彼はやはり、左翼では大きなことをしたと思う。
これは、メジャー思考しかできない、オバカさんたちには理解できないことだろうと思う。

まあ、決めつけるのは好きじゃない。
また退屈な本と出会うことだろう……。

大衆の一人でしかないボク……。

そして、裏では推進のくせに、ガス抜きしている卑劣な作家たちにこそ、気をつけてもらいたい。









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