磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜也の日記

2010年03月24日 | 読書日記など
1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜也の日記 幻冬舎文庫』
   木藤亜也・著/幻冬舎2005年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「いじめられ、死のうと思っていたが、生きる決意をした。--高校生 男性・17歳
亜也さんの人生は短いけどこんなに光り輝いている。私はどうだろう?と考えさせられた。--会社員 女性・32歳
自分だけが不幸のどん底だと思っていたことが恥ずかしくなった。--会社員 女性・33歳 -略-」



裏表紙にはこう書かれてあります。下「」引用。

「「神様、病気はどうして私を選んだの?」恐ろしい病魔が15歳の少女亜也の青春をうばう。友達との別れ、車椅子の生活、数々の苦難が襲いかかる中、日記を書き続けることだけが亜也の生きる支えだった。「たとえどんな小さく弱い力でも私は誰かの役に立ちたい」最期まで前向きに生き抜いた少女の言葉が綴られた感動のロングセラー、ついに文庫化。」

学校生活、寄宿生活、病院生活のことが書かれてあります。

ヒロシマに修学旅行にいったことも書かれてあります。

「○鳩と私の平和公園」〈修学旅行の平和公園〉 下「」引用。

「-略-私は気もち悪いと思わなかった。これだけが原爆じゃない。これだけが戦争じゃない。戦争を知らないあさはかな子はそう強がっていた。
 原爆症でなくなってしまったさだ子さんの折ったつるがあった。赤いすきとおった薬紙でつくってあった。死にたくない。生きたい。さだ子さんの叫びが聞こえるようだった。-略-」

もくじ

小学生たちの目が気になったようです。下「」引用。

「後で気づいたことだが、資料館の中で広島の小学生たちといっしょになった。その子らは、展示物車椅子の私を同じような気味悪いものを見るような目つきで見るのです。人の目など、気にしていてはだめだと思った。きっと車椅子や車椅子に乗った人が珍しいのだろう。そう考えて、ただ展示物にじっとくいいっていたような気がする。
 鈴木先生におばれて階段をおりた。いやな目と、重苦しいふん囲気から脱出できてほっとした。外は小雨がポツポツ降り出していた。」

index

「あとがき」母・木藤潮香(著)。下「」引用。

「-略-発病六年目にして、一人で生活できなくなった時、「わたしは、何のために生きているのか」と、病室でノートに書いて、私に質問した。
 辛くても努力して頑張り、精一杯闘ってきた結果が、期待した人生と逆行していったことにより、“生きている価値がない。生きがいもない。迷惑人間だ”と自分を責めていた。-略-」

闘病記の読書。下「」引用。

「-略-が、これが亜也の人生だと言って、自分だけが不幸だと狭い気持ちにならないよう、いろんな人の闘病記を買い与え、読ませたこともある。
「亜也は、本当にびつくりするくらい何ごとにも一生懸命とり組んできたんだ。五体満足でのほほんと生きているお母さんより、よほど立派な生き方をしてきたんだ。-略-」

最期のほうにはこう書かれてある。下「」引用。

「この作品は、亜也さんの病状が進みほとんど判読できない文章を、母親である木藤潮香さんが原稿用紙に筆写するなどしてまとめ、一九八六年二月エフエー出版より刊行されました。本書はそれを文庫化したものです。
 なお、亜也さんは、本の出版後の一九八八年五月二十三日午前零時五十五分、家族全員の見守る中、永遠の眠りにつきました。日記を書くことができなくなった亜也さんの様子は、潮香さんの著書『いのちのハードル「1リットルの涙」涙の手記』(幻冬舎文庫)に綴られています。」







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