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ハラスメントは連鎖する-「しつけ」「教育」という呪縛-

2012年06月29日 | 読書日記など
『ハラスメントは連鎖する-「しつけ」「教育」という呪縛-』
   安富歩、本条晴一郎・著/光文社2007年

原子力ハラスメントというのも確実にあるでしょうね……。
彼らの心理をつく一冊でしょうね……。
--「原子力ムラ」研究の一冊!!!

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表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「あなたがよくわからない理由で、鉛色の空の下であえいでいるなら、あなたの周辺の人間関係をじっくり観察してほしい。そのなかに、かならずやこのハラスメントの悪魔が忍び込んでいるはずである。
あなたの両親のどちらかの心にそれは巣くっているかもしれない。配偶者かもしれない。親友かもしれない。同僚かもしれない。場合によれば、あなたが属している集団そのものがこの悪魔にとりつかれているかもしれず、社会全体がとりつかれていることさえもある。」



「ハラスメントという悪魔」 下「」引用。

「この鉛色の構造の拡大再生産を、無限に続けることはできない。やがて構造を支えている要素のいずれかが、維持不可能になっていく。そのとき、破綻の過程が開始される。
 それは病気かもしれず、家族の崩壊かもしれず、仕事の破綻かもしれず、精神の解体かもしれないが、いずれにしても、周囲の人々を不幸の渦に巻き込みながら、あなたは急速に泥沼にはまっていく。運がよければ、その過程が始まる前に、あなたの寿命が尽きてくれるかもしれない。
 このような構造は、どうして生成するのであろうか。本書は、この問題につて考えようとしている。私たちはこの構造の背後に、「悪魔」の存在を考える。その悪魔があなたを呪縛し、空を鉛色にしているのである。この悪魔の別の名前は、「ハラスメント」である。-略-」

「植民地支配というハラスメント」 下「」引用。

「ハラスメントは家庭や職場に限られるものではない。社会全体にハラスメントの悪魔がとりつく場合もある。その典型的なケースが軍国主義や植民地支配といった問題である。
 これらは、公的な権力によって社会全体がまるごと公式にハラスメントに掛けられるケースとみなすことができる。
 現代の日本は、かつて我々が植民地化したり、軍事占領したりした地域に取り囲まれており、中国や韓国の人々が「反日」を叫びながら、激しい憎悪をむき出しにして詰め寄ってくることに恐怖心を抱いている。なぜこんな恐ろしい目にあわないといけないのかが理解できず、反発して国家主義的心情を抱き、韓国や中国に対する嫌悪感を増大させている。
 この問題は、植民地時代・戦時期に日本人の振るった暴虐によって増殖した悪魔が引き起こしていることである。「反日」の様子を見て日本人が怯え、嫌悪をするのは当然である。なぜならそこに自分たちの先祖の撒いた悪魔の姿が見えるからである。
 それを解決するためには、嫌でも何でも、この悪魔を倒すしかない。植民地支配や軍事占領を通じて、ハラスメントに掛けられた社会を、脱ハラスメント化しなければならない。さもなくば宗主国/植民地関係をひくり返して、旧宗主国を植民地扱いする「反日」という歪んだ攻撃を解消させることができない。-略-」

アイヒマン実験」感情の衰退。 下「」引用。

「「私はただ命令に従っただけだ」
 これはナチスによるユダヤ人虐殺を主導したアドルフ・アイヒマンの発言である。アイヒマンは虐殺の実行は自分の責任外のことであるとして、法廷で無罪を主張した。
 アイヒマンは決して嘘をついているのはでなく、本当に良心の呵責すら感じていない。自分がある役割を演じられるかどうか、そして演じることによって褒めてもらえるかどうかが全てであり、そのためなら人を殺そうが何をしようが関係ないというのがアイヒマンの姿勢である。残念ながら、この姿勢はアイヒマンに限ったものではない。
 このような、見せかけが全てで良心を持たない症状に精神病質、もしくは社会病室と呼ばれている。精神病質という概念は、現在では人格障害に拡張されているが、本書では、この状態を「正常」という病であると指摘したグリューンに従い、精神病質という語を用いることにする。」

魅力的……。下「」引用。

「精神病質者は、口が達者で表面的な魅力を備えていることが多いと指摘されている。それゆえに、周りのひとは不用意に近づいてしまい、利用されることも多い。
 また、精神病質者は「一貫した無責任さ」をもち、何か問題が起きた場合にも「自分は何も悪いことはしていない」と言い張る。そしてしばしば自分の社会的立場を生かし、責任を逃れることに成功する。」

「ハラッシーと純粋被害者の違い」 下「」引用。

「ハラッシーとは、ハラスメントにかかって呪縛された状態である。つまり、謂われなき劣等感を押し付けられながら、劣等感に気づかないように自分のパッケージを設定している状態のことだ。
 ハラスメント構造においては、ハラッサーのパッケージを押し付けられ、舞台裏を担わされている。
 ハラッシーは、ハラッサーのハラスメントにさらされている純粋被害者とは区別されるべき状態だ。これは、ハラッシーが被害を受けていないという意味ではない。ハラスメントにかかると、ハラスメント構造から抜け出すことを自ら困難にするような特徴が表れる。この状態の被害者がハラッシーである。
 これは決してハラッシーが悪いということではない。ハラッシーはあくまでも被害者であり、ハラッサーこそが責められるべきだ。加害者に全面的に非があり、被害者には一切非がないのは当然である。-略-」

責任を認めないだけでなく「自分は善人だと思っている」=現実は自分を裏切っている。 下「」引用。

「ハラッシーハラッサーは他人に対してひどいことをしても自分の責任を認めない。
 アイヒマン実験で実験者の指示に従って生徒に最も強い電気ショックを与えた教師は、実験者に責任を転嫁したり、生徒に対して「記憶を間違えるようなどうしようもないやつは罰を受けて当然だ」と自らの攻撃を正当化する発言をしたりといった態度を見せた。
 自分のことは善人だと思いたいが、電気ショックを与えることは、自分の「いい子ちゃん」パッケージを脅かしてしまい、罪悪感を覚えてしまう。そこで被害者に謂われのない蔑視をすることで自分のハラスメントを正当化する。
 このような正当化はハラッシーハラッサーの典型的なものである。
 そして加害を正当化することにより、自分の情動を否定したパッケージを強めていき、ますます自分に対する裏切りを深めていく。罪悪感を覚えないように、完全に自分を裏切ればハラッサーの誕生となる。
 ハラッシーハラッサーのハラスメントは、ハラッサーがするような直接的な押しつけではなく、自分の周りでは何も悪いことが起きていないと思いこむことが動機になっている。そのために、自分が善人で幸福であると考えようとする。そして「私は恵まれている」「私は今のような仕事ができて幸せだ」などという、本当に充実感を感じている人間ならわざわざ言う必要のない主張をしばしばする。」

「心配しているよ」という発言……。下「」引用。

「自分が幸せであると思いこみを維持するために、自分が幸せであるということを他人に言ってもらおうとする。さらに、自分の周りだけは何の問題もなく、周囲の人全員が幸せであるというストーリーを作りだそうとする。そのためには、周囲の人間が落ち込むことは許さない。
 自分を取り巻く幸せを維持できない相手には「心配」してみせる。他人に「心配しているよ」と言う発言は「あなたはちゃんと罪悪感を持っていますか?」「あなたのことを気にしている私はいいひとです」「私はあなたよりも情況をわかっています」の三つを意味している。」

内容のない甘い言葉には気をつけましょうね……。言葉は人格とでワンセットですね。

「『星の王子さま』からセカンド・ハラスメントを読み解く」

「共感してくれる他者=天使」 下「」引用。

「『星の王子さま』は、バラのようなハラッサーに注意せねばならぬこと、また決してキツネのような者を相談相手に選んではならぬことを教えてくれる。
 相談する相手として有効なのは、ハラスメントからに抜け出した人か、そういうものから自由な人に限られる。そういう人に聞けば、
「あなたは呪縛されている。痛めつけられている」
 と言ってもらうことができる。そしてこの痛みに共感してもらうことではじめて、自分の痛みを認めることが可能になる。
 アリス・ミラーは虐待の連鎖から脱出するためには、共感してくれる他者が必要であることを指摘している。」

この本は、野蛮で冷血なカトリック教徒研究にも役立ちそうですね。

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