『ヒロシマに生き征く
一被爆者の手記』
松室一雄・著/第三文明社1977年
この本は創価学会員が書かれた本であり、
創価学会関連の出版社がだされている本のようです。
宗教という視点ではなく、一人の方の半生記として読みました。
戦時中も氷とビールがある生活を送られていた著者。
原爆によって、その生活は大きく変化する。
火の玉について書かれてありました。以下「」引用。
「「アッ、火の玉だ!」
恐ろしさに子供が震えあがった。暗闇の右に左に、こつぜんと青白い光をはなちながら点滅するのだ。その光景は慄然として、子供ならずとも思わず背筋の寒くなるものだった。じっと見ていると、たくさんの魂が肉親をさがしてい彷徨するかのようで、なんだか悲しくもあり、やりきれなくもなった。」
今では、火の玉も科学的に考える時代ですね。
当時は、そんなことはなかったでしょうね。
僕の子どもの頃も、人だまといって怖がっていましたね。
生活はやはりどん底、起死回生をねらっての事業なども、知人に裏切られたという。
そして、著者は人夫となられたようです。下「」引用。
「当時は、たくさんの人が失業対策事業の人夫になった。食いつないでいくには、見栄も外聞もなかったのだ。戦前は手広く商売をしていた人、将校であった人、莫大な財産で豊かな生活をしていた人等々、昔を知る者からは信じられない人までが、顔をはばかりながら働いていたものである。とくに広島は、被爆という特異性から他県にくらべて多かった。」
創価学会の人と著者はかかわりを持ち、前向きに人生をかんがえられるようになったという。
借金を気軽にしないことなども、教えてもらったようです。
この本の最初にカラーで見たことのある絵があります。
その理由が下「」引用です。
「「市民の手で原爆の絵を」のスローガンのもと、このころNHK広島本部は被爆体験者の絵画を募集したのである。この巡りあわせをどう表現すればいいのか。手を叩いて喜ばずにはいられなかった。七月一日、さっそく二十七枚を選んで提出したのである。」
創価学会の第二代会長は戸田城聖は『原水爆宣言』をされたようですね。
この著者はそれを心にして、この本を書く強い信念にもなったようです。
創価学会戸田平和記念館
目 次
一被爆者の手記』
松室一雄・著/第三文明社1977年
この本は創価学会員が書かれた本であり、
創価学会関連の出版社がだされている本のようです。
宗教という視点ではなく、一人の方の半生記として読みました。
戦時中も氷とビールがある生活を送られていた著者。
原爆によって、その生活は大きく変化する。
火の玉について書かれてありました。以下「」引用。
「「アッ、火の玉だ!」
恐ろしさに子供が震えあがった。暗闇の右に左に、こつぜんと青白い光をはなちながら点滅するのだ。その光景は慄然として、子供ならずとも思わず背筋の寒くなるものだった。じっと見ていると、たくさんの魂が肉親をさがしてい彷徨するかのようで、なんだか悲しくもあり、やりきれなくもなった。」
今では、火の玉も科学的に考える時代ですね。
当時は、そんなことはなかったでしょうね。
僕の子どもの頃も、人だまといって怖がっていましたね。
生活はやはりどん底、起死回生をねらっての事業なども、知人に裏切られたという。
そして、著者は人夫となられたようです。下「」引用。
「当時は、たくさんの人が失業対策事業の人夫になった。食いつないでいくには、見栄も外聞もなかったのだ。戦前は手広く商売をしていた人、将校であった人、莫大な財産で豊かな生活をしていた人等々、昔を知る者からは信じられない人までが、顔をはばかりながら働いていたものである。とくに広島は、被爆という特異性から他県にくらべて多かった。」
創価学会の人と著者はかかわりを持ち、前向きに人生をかんがえられるようになったという。
借金を気軽にしないことなども、教えてもらったようです。
この本の最初にカラーで見たことのある絵があります。
その理由が下「」引用です。
「「市民の手で原爆の絵を」のスローガンのもと、このころNHK広島本部は被爆体験者の絵画を募集したのである。この巡りあわせをどう表現すればいいのか。手を叩いて喜ばずにはいられなかった。七月一日、さっそく二十七枚を選んで提出したのである。」
創価学会の第二代会長は戸田城聖は『原水爆宣言』をされたようですね。
この著者はそれを心にして、この本を書く強い信念にもなったようです。
創価学会戸田平和記念館
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