磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマに生き征く 一被爆者の手記

2006年06月20日 | 読書日記など
『ヒロシマに生き征く
 一被爆者の手記』
       松室一雄・著/第三文明社1977年

この本は創価学会員が書かれた本であり、
創価学会関連の出版社がだされている本のようです。
宗教という視点ではなく、一人の方の半生記として読みました。



戦時中も氷とビールがある生活を送られていた著者。

原爆によって、その生活は大きく変化する。

火の玉について書かれてありました。以下「」引用。

「「アッ、火の玉だ!」
 恐ろしさに子供が震えあがった。暗闇の右に左に、こつぜんと青白い光をはなちながら点滅するのだ。その光景は慄然として、子供ならずとも思わず背筋の寒くなるものだった。じっと見ていると、たくさんの魂が肉親をさがしてい彷徨するかのようで、なんだか悲しくもあり、やりきれなくもなった。」

今では、火の玉も科学的に考える時代ですね。
当時は、そんなことはなかったでしょうね。
僕の子どもの頃も、人だまといって怖がっていましたね。

生活はやはりどん底、起死回生をねらっての事業なども、知人に裏切られたという。
そして、著者は人夫となられたようです。下「」引用。

「当時は、たくさんの人が失業対策事業の人夫になった。食いつないでいくには、見栄も外聞もなかったのだ。戦前は手広く商売をしていた人、将校であった人、莫大な財産で豊かな生活をしていた人等々、昔を知る者からは信じられない人までが、顔をはばかりながら働いていたものである。とくに広島は、被爆という特異性から他県にくらべて多かった。」

創価学会の人と著者はかかわりを持ち、前向きに人生をかんがえられるようになったという。

借金を気軽にしないことなども、教えてもらったようです。

この本の最初にカラーで見たことのある絵があります。
その理由が下「」引用です。

「「市民の手で原爆の絵を」のスローガンのもと、このころNHK広島本部は被爆体験者の絵画を募集したのである。この巡りあわせをどう表現すればいいのか。手を叩いて喜ばずにはいられなかった。七月一日、さっそく二十七枚を選んで提出したのである。」


創価学会の第二代会長は戸田城聖は『原水爆宣言』をされたようですね。

この著者はそれを心にして、この本を書く強い信念にもなったようです。

創価学会戸田平和記念館




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