磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

わたしたちのアジア・太平洋戦争 1 広がる日の丸の下で生きる

2010年06月11日 | 読書日記など
『わたしたちのアジア・太平洋戦争 1 広がる日の丸の下で生きる』
   古田足日、米田佐代子、西山利佳(編)/童心社2004年

いろんな人が、いろんなことを書かれています。
大人向けの感じがする本でした……。



夢をみるという古田足日。下「」引用。

「ぼくはいまもときどき敗戦後一年ぐらいのときのぎゅうぎゅうづめの夜行列車を思いだす。ぼくはその列車の網棚の上にいた。汽車があまりにもこみすぎていてつぶされそうになったぼくは、網棚の上にちょっとしたすきまを見つけて、そこにあがり、ひとの荷物を横によせ、その荷物と荷物の間に、ぼくのリュックとぼくをおしこみ、背中を丸め、ひざをかかえるようにしてすわりこんだのだった。-略-」

聖戦と教えられた古田足日。下「」引用。

「そして、ぼくはこの戦争がアジア諸国を白人の侵略から解放する聖戦だと信じこんでいた。しかし、敗戦の日からざっと一年の時間がたつうちにそうではないことがわかってきた。日本が中国を侵略し、東南アジアへも侵略の手を広げていったのだった。これはじりじりと足元がほりくずされていくようなおどろきであり、ぼくはうちのめされた。」

戦中、教育の場に「神がみ」。

「陛下のために死んだらいかんのか」と、若き古田足日。

先輩が神風特攻隊敷島隊の隊長・関行男だったという。下「」引用。

「中佐の例はぼくたちに大君のため死ぬことをもとめているのだとぼくは思った。」


少年航空隊。下「」引用。

「去年まで高等科の秀才としてわたしたちのあこがれの的だった少年が、少年航空隊の制服で壇上に立ち、「やがては特攻隊員としてお国の役に立つ所存であります」とあいさつした。思わず涙ぐんだわたしは、愛国少女として感動したものと自分では思いこんでいたのだが、いつまでも黒いしこりが胸の奥にわだかまっていた。」

Index

九軍神「一隻に二人のはずが……」下「」引用。

「しかし、疑問を公表できない時代だったとしても、真実がかくされていることは知りつつ、九軍神の話や本や雑誌が紙芝居などで子どもたちにつたえ、子どもたちを戦争にあおりたてたおとなには大きな責任がある。」

index

ヤーガーの悲劇」 下「」引用。

「ヤーガーはガマの一つです。そのころまだにのこっていたて人のほとんどがそのガマに避難していました。そこに二発の爆弾がうちこまれ、二四人がなくなったのです。」

index

「朝鮮戦争と「灯火管制」」沖縄。下「」引用。

「嘉手納飛行場からとび立つ戦闘機のごう音、くわえて夜になると「灯火管制」がしかれ 、「鉄の暴風」とよばれた悲惨な沖縄戦の悪夢がよみがえる日々がつづきました。沖縄の人びとは、ふたたび戦争にまきこまれてしまうのではないかという深刻な危機感におそわれていました。」

index

もくじ

朝鮮人志願兵。下「」引用。

「それで、朴燦然(パクチャンヨン)先輩が志願兵第一号として出征するようになったときは、すべての面民が動員されて祝福した。たすきをかけている朴先輩を前に立たせて、学校の運動場をみんなでいっしょにめぐりながら万歳をとなえるのだった。」

オウムの人たちに語ったという。下「」引用。

「五十年前は、わたしたちも侵略戦争の手先で、自分たち自身は被害者だけど、中国の人たちから見たら加害者だ。それと同じで、君たちはオウムによる被害者だけど、社会的に見ると加害者だ。そのことを、早く自分で考えてこの教団をやめるように」

フィリピン人。下「」引用。

「フィリピン人は、いばって日本語で命令する日本兵にびっくりしました。そのころ、フィリピンはアメリカの植民地でしたが、多くの青年たちは、フィリピン人を見くだす侵略者の日本軍と武器を取ってたたかう道を選びました。」






Index

INDEX

もくじ





エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。