磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

現代農業-反核反原発ふるさと便り-1988年9月増刊号

2008年06月22日 | 読書日記など
現代農業-反核反原発ふるさと便り-1988年9月増刊号』
   農山漁村文化協会1988年

京野菜というのは、遺伝子操作もせず、じっくり農業にとりくんできた成果。ボクの祖父も滋賀県で百姓(小作)でしたが、百姓というのは一代ではなく先祖代々つづけられてきた伝統にのっとって現在があるわけです。まさに文化の定義にあうものですね。
--この本は実質と論理がきちんとあわさってできた、今までボクが手にした原発関連の本で一番すばらしいと思います。



「原発のある里」松下竜一・著で。
「川内」と書いて「せんだい」と読むと書いてあった。
川内にも原発があるという。下「」引用。

「浜を賑わしたチリメンジャコ漁もイリコ漁も、一号機の試運転ば始まった。一九八三年から符節の賑わいも見られなくなっている。」

反対した人にはやはり嫌がらせがあったようです。

「原発と公害のあるところに民主主義はない」

まさに、封建時代の村八分……。
それにも負けずにがんばっておられる人たちは自然や人の命や健康、自然を守ってくださったとボクは思う。

飲まされる男はダメ! という表現には笑いました。
--まさに理性なき酔っ払い!
情なく、つぶされますね……。気持ちは大虎ですが……。

伊方原子力発電所周辺の人たちもメリットはなかったという。下「」引用。

「バラ色だった“原発”が町にもたらしたものは一体何であったろう。過去三回、原発付近の海で起こった魚の大量死(昭和五十六年、五十八年、六十年)は、すでに、原発付近の海が温排水の影響が死にかけているという現実をつきつけた。あれほど豊富に採れ続けるワカメは、放射能汚染を恐れる消費者にはそっぽを向かれ始めた。誘致のために人々はあさましい金合戦に躍られさ、三人もの自殺者を出し、親子離散、夫婦別れによって引き裂かれた町の人々の心に、原発は何のメリットをもたらしたというのか。」

こんなこともあったと書かれてあります。下「」引用。

「「低レベル廃棄物」の手袋や布ぎれを焼く煙が、原発の高い煙突から休むことなく、彼らの畑の上に流れている。「放射能はもれない」と断言する四電側の主張がまやかしであることも知っている。農産物が放射能汚染されないはずがない。一号機はすでに十三年、二号機は七年も稼働しつづけているのだ。」

「人を人と認めない原発の論理」というタイトルがあり、まさにそうだと思いました。

「主婦の手で明らかになったケタ違いの汚染」
--京大に行き、放射線測定の勉強をした主婦。
松葉で、放射線を測定する方法をとったという。
その結果が下の図であるという。



「第1図 : 宮崎県降雨量(1988年5月4日~6日)」
「第2図 : 宮崎県放射線量(-略-)」


【磯野鱧男の感想】ビキニの時、死の灰は雨とともにやってきた……。
平時でも、雨のふるところに、原発の死の灰は積もるということかもしれない……。

「福島・浪江 土地を売る権利があっても子孫の命を売る権利はない
こんなものをわが家の近くにつくらねばならない義務も義理もない」
ここでは、勉強会も開かれたという。下「」引用。

「桝倉氏は-略-講演会や勉強会を開いた。アメリカの原子力物理学のイングリス博士、市川定夫京大教授(現・埼玉大教授)、高木仁三郎博士(現・原子力情報室世話人代表)、安斎育郎東大助手(現・立命館大教授)ら著名学者が桝倉氏らの要請に応え、それぞれ手弁当で原発の仕組みや問題点、放射能の影響などについて講義した。」

もくじ

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以前紹介した本の関連も書かれてありました。下「」引用。

「ビキニの海を忘れない
●高校生が掘り起こした海の男の反核原体験--西村雅人
「死の灰の被害ということでは(ビキニも)チェルノブイリも同じだと思う。だから私は、窪川原発には反対だ」--(ビキニ被災船「神通川丸」乗組員)」」

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「漁業は苦しい しかし原発には頼らない■漁業不振の中で」という小タイトルがありました。
--原子力帝国では、不信になった方が都合がいいと考える人たちもいるかもしれない。
しかし、輸入食品に頼れない時代がきたとき、原発で腹はふくれない!
“電力よりも食料!”とその時にならないと人は気付かないのだろうか?

原発教育を進める推進派たち。下「」引用。

「さらに描いた得、「原子力平和利用」とか「原子力発電」といった習字の展覧会が開かれ、各校の教師を通して子供たちに出品させる。教師が断ると原発へ働きに出ている家庭へ個人的な依頼がくる。きわめて巧妙な原発推進路線の継承教育が行われているのだ。」


「「原発はカネのなる木」--高木・敦賀市長「タカリ発言」メモから--斉藤征二」という記事もあった。下「」引用。

「えー、その代わりに百年経って片輪が生れて来るやら、五十年後に生んだ子どもが全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階ではおやりになった方がよいのではなかろうか。そう強調いたしまして私の話は終らせていただきます」」


反原発新聞を読もうという広告がありました。









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