磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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太平洋戦争末期の市民生活-市民講座 空襲・教育・報道・衣食住-

2009年06月02日 | 読書日記など
『太平洋戦争末期の市民生活-市民講座 空襲・教育・報道・衣食住-』
   早乙女勝元、松浦総三・編/鳩の森書房1977年

むかしはそうだったのか?
--そうでもない気もするが……。



「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「-略-太平洋戦争にかんする書物、雑誌、新聞記事の量は、実に多い。しかし、それらの多くは、あの無謀きわまりない戦争を始めたも、偉い人たちの記録ばかりである。
 戦争の張本人である天皇、職業軍人、高級官僚、政治かなどの記録ばかりである。つまり、戦争犯罪人の、居直った記録ばかりが、幅をきかせているのである。これらの戦争挑発者の命令にしたがわなければ罰せられるので、いやいやながら戦争に参加した庶民、その妻や母、その家族、そういう貧しい人びとの記録は、ほとんどなかった。-略-
   一九七七年二月五日
     ロッキード事件一周年記念日。
     この日が、二月一日より庶民の記念日になることを希望しながら……
            松浦総三」

「東京大空襲と私」早乙女勝元・著。下「」引用。

「-略-いま東京の墨田区へ行きますと東京都慰霊堂というのがありまして、この慰霊堂は震災記念堂などとよばれて関東大震災の東京都民の零をまつってあるのですけれども、そこに居候したかたちで第二次大戦中の無縁仏の東京都民、非戦闘員の白骨体が残されています。それがどのくらいあったかといいますと、十万五千九百体であります。そのほかに、無数の運河を通じて東京湾から太平洋に流された死者とか、あるいは防空壕の中にうずくまっていて、家が焼け落ちてきて、地下深く埋まった死体なぞ加算しますと、ひと晩で十万人死んでいった事実は、まずまちがいないという感じがします。」

金沢嘉市・著。下「」引用。

「その後、教育はだんだんと管理体制がきびしくなってきて、ついには「平和、平和ということよりも、戦争になったらどうするか」という防衛魂を育ててもらいたいということが要求されるようになってしまいました。けれども日本の教育組合はそれを絶対に受けつけません。政府としては困るわけです。日教組の存在はじゃまで、じゃまでならないのです。」

平和といえば、その一点だけで、すべてが正当化できるとは、ボクには思えないが……。

防衛にさえならない……、おろかな人たち……。

おろかな力の対立……。それで教育者なのだろうか?

戦中、松浦総三は短波ラジオをきいて、現状を知っていたという。下「」引用。

「私は、一九四一年春、友人と尾崎秀実『現代支那論』や笠信太郎『日本経済の再編成』などの読書会をやっていました。どこから漏れたのか、これが特高警察の知るとろことなり、私は警察へ連れてゆかれ、徹底的に調べられました。-略-」

石川光陽……。下「」引用。

「石川光陽さんは警視庁のカメラマンで空襲直後の焼跡とか、死体の山をとっていたるその写真集が昭和二十八年に刊行された。その年に東京都で『東京都戦災誌』という戦災に関する警察と東京都庁の記録の小さなものを出しました。とろこがそれが出ただけで止まってしまったのです。」

日本で解除されない……。下「」引用。

「石川さんは警視庁の職員だった。ところが警視庁資料部では一切ございませんというのです。建設省にもない。最後に消防庁へ行ったら少し資料を貸してくれた。それではどうにもならぬのです。厳秘と㊙なんです。アメリカの場合は二十五年たてば㊙は解除される。日本の場合は永遠に解除されないわけです。」

その結果、アメリカで取材。下「」引用。

「アメリカの場合、昭和四十五年まではその資料を見せなかった。二十五年たったので解除したそうです。それでこの第三巻ができるわけで、資料はほとんどアメリカで取材したものです。-略-」

もくじ


「戦中生活、そこで思い考えたこと
   対談 美濃部亮吉(東京都知事)家永三郎(歴史学者)
   聞き手 早乙女勝元 松浦総三」という記事もありました。

暗号解読されたことをシカゴ・トリビューン紙が報道、それさえ知らない日本軍……。戦後になって知ったという……。







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