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近代日本文化論10 戦争と軍隊

2009年01月08日 | 読書日記など
『近代日本文化論10 戦争と軍隊』
   青木保、他・編/岩波書店1999年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「イメージと実像--
軍隊はいかに社会に定着したか」



■目 次■
 I イメージとしての軍隊
草の根の軍国主義 佐藤忠男  1
大正期の軍縮と世論 筒井清忠  19
 II 組織としての軍隊
軍閥の成立 戸部良一  55
 III 文化としての軍隊
メディア・イベントとしての軍歌・軍国歌謡 津金澤聡廣  73
軍神論 山室建徳  93
総力戦と軍部メディア政策 有山輝雄  111
 IV 思想としての戦争と平和
反戦思想と徴兵忌避思想の系譜 加藤陽子  133
玉砕の思想と白兵突撃 河野仁  153
 V 社会と戦争
軍医増産の教育社会史 橋本鉱市  181
戦争と国際法 安藤仁介  197


映画『足摺岬』(1954年)脚色新藤兼人。下「」引用。

「この師弟はじつは田舎から逃れるように東京に出てきているのであり、その理由というのは、彼らの兄が捕虜になったという噂のために村で迫害を受けて、そこでは生きてゆけなくなったのである。-略-」

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捕虜の家族はつらい思いをする……。
ゆえに特攻攻撃に……。自殺というより、他殺かもしれない……。
--意外に、自殺といわれるものも、原因をさぐれば他殺かもしれない……。

こんな本があるという。下「」引用。

「作家の長谷川伸は戦後に『日本捕虜誌』というノンフィクションの本を書いて自費出版に近いかたちで世に出した。日本人が昔から戦争で捕虜になった例や、捕虜を扱った例をたんねんに調べあげたもので、日露戦争中に日本はロシヤ兵の捕虜などをじつに丁重に待遇したものだったというような、いまではかなり知られるようになった事実はこの長谷川伸の研究に負うところが大きい。長谷川伸はこれを戦中から資料を集めて準備していたそうである。動機は、当時やはり、日本兵で敵の捕虜になる者がいてそれが噂となると留守家族が迫害される例があると聞き、かわいそうだと思い、昔から日本の侍や兵士が捕虜になるということは珍しいことではないということを明らかにしたかったからだそうである。」

軍閥という言葉は中国語だという……。下「」引用。

「『軍閥興亡史』を著しい軍事ジャーナリズム伊藤正徳によれば、「軍閥」という文言は大正時代に中国から輸入されたものだという。当時の軍閥は、ごく単純に言えば、軍人政治家に率いられた私兵集団を意味する。-略-」

軍歌・軍国歌謡の新作競争……。下「」引用。

「新聞社とレコード会社とのタイアップによる軍歌・軍国歌謡のその後の新作競争の隆盛は、『朝日』『毎日』の競作にみられるように、新聞各社による時局報道の先陣争いとひいてはレコード業界の営業政策とがからみあって推進され、いわばマス・メディア先導による戦時意識動員イベントとして出発したのである。」

「聖戦プロパガンダの尖兵」も歌(音楽)……。下「」引用。

「「愛国行進曲」は「明るく勇ましい行進曲」ではあったが、その文言は「これこそが、侵略戦争を聖戦と信じこませる天皇讃美歌の典型」(山中恒『子どもたちの太平洋戦争』-略-)」

 「総力戦と軍部メディア政策」
--整理されたのは、良識のあメディア。
軍部と結託したメディアが生き残った……。
そして、本当には戦争責任など感じず、イメージだけをたれ流す、日本のメディア。

軍医増産……。下「」引用。

「一九三九(昭和一四)年三月下旬、文部省専門学務局長から各帝国大学医学部および医科大学に秘密電話がかけられてきた。軍医増産のために、「臨時附属医学専門部」を大至急付設してもらいたいという要請である。
 このり唐突な要請の背後には、一九三九(昭和一二)年以降、大陸での戦局拡大に伴い軍医促成を希求する軍部の思惑が強く働いていた。当初、軍部は軍医増産のため千葉医科大学の接収を企図していたが、これはさすがに文部省が許さなかった。しかし、その代償として文部省は、「臨時医専」を旧帝国大医学部および新潟・岡山・千葉・金沢・長崎・熊本の六医科大学に増設するという代替案を呑まざるをえなかったのである。」









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