『ソ連が満州に侵攻した夏』
半藤一利・著/文藝春秋1999年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「かくして百万邦人が見棄てられた……
版図拡大に野望をいだくスターリン、原爆投下と戦後戦略を早くも画策する米英、日ソ中立条約を疑おうともしない日本軍首脳……。三様の権謀が渦巻くなか、突如「ソ」軍戦車が八月の曠野に殺到した。
『ノモハンの夏』に続く、“昭和史シリーズ”第二弾!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/16/28070bdf2e310789c3cebbae717c2dd7.jpg)
ソ連の人たちも平和を愛していたという。モスクワの「赤色プロレタリア工場」の決議文。下「」引用。
「ソビエト国民は、平和を愛する国民である。また、全世界の平和に賛成である。……日本の壊滅が早ければ早いほど、それだけいっそう速やかに全世界に全般的な平和がやってくるであろう。われわれは、この時を近づけてくれる赤軍を、自分たちの労働をもって援助するものである」
この論理ならば、ヒトラーも同様に平和を愛していたことでしょう……。
そのためには多くの血を流すことも厭わない人たち……。
信用できるものではないとボクは思う。
大きな歴史の流れを知っておればこんな感想はでないはず。下「」引用。
「「なぜソ連が日本に戦争を?」--その背後にどんなに複雑怪奇ともいえる国際政治のかけひきがからんでいることか。それを知らない日本人には、ただ殺到するソ連戦車に理解を超えた無意味さを感じ、襲いくるソ連兵が不吉で真っ黒な悪魔の化身のごとくに思えたとしても、それはごく自然なことであったかもしれない。」
『日露戦争』
いや、それ以前から、西郷隆盛や坂本龍馬も脅威としていた。
そのことを、半藤は書く。下「」引用。
「日露戦争後もロシアの南下政策は、強まることはあっても決して消えることはなかった。脅威はいぜんとしてつづき、当時の流行語に「脅露」という言葉である。日本にとって、いぜんとしてロシアは仮想敵の第一の強国なのである。このため明治三十八年(一九○五)九月に大連においた関東総督の指揮のもと、関東州に満州駐留軍(二個師団・約一万の兵力)を創設する。これがのちに強大な関東軍へと発展する。関東軍とよばれるようになったのは大正八年(一九一九)である。」
幻想を持っていた日本人。下「」引用。
「そういえば昭和の初期のロシア文学の翻訳が、ほかの国とくらべて、かなり情緒的であったのが思いだされる。それを日本人は好んで読んだ。現実のソ連からいくら逸(そ)れていようと、つまり恐るべき粛清と暴政がそこで起っていようと直視せず、自分の願望をこめて美しいロシア・イメージを描くものが、日本人はかなり多くいたのである。」
「美しい国=ソ連!」ということだったのでしょうか?
スターリン「連合国は女のようなものだ。たたけばたたくほど惚れてくる」
上野千鶴子さんの前でスターリンはこんなことが言えたのでしょうか?
ボクはいえません……。(-_-;)
それに妙な趣味ももっていません。(-_-;)
ここでも、ソ連兵の倫理のなさが書かれてありました。下「」引用。
「女性と子供は丸刈りになり、日中でも一人で外出することは禁止となった。」
9月2日、戦艦ミズーリ号上での、最終降伏文書調印。
その日ラジオ演説、スターリン「この戦争(*日露戦争)でロシアは敗れた。その結果、日本は南サハリン(樺太)をかすめ取り、千島列島にどっしり腰をすえ、かくしてわれわれの太平洋への出口を閉ざしてしまったのである」
ロシアにもいい人もいれば、悪い人もいる……。
スターリンはソ連国民にとっても、悪人だったとボクは思う。
文学や映画などで、事実じゃないことを伝えることがあるかもしれないが、冷静に判断しないと危険かもしれないと思いました……。
事実が大切ですね。ファンタジーも事実をねじ曲げるものでないとボクは思います。空想を楽しんだりするものですね。
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目次
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半藤一利・著/文藝春秋1999年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「かくして百万邦人が見棄てられた……
版図拡大に野望をいだくスターリン、原爆投下と戦後戦略を早くも画策する米英、日ソ中立条約を疑おうともしない日本軍首脳……。三様の権謀が渦巻くなか、突如「ソ」軍戦車が八月の曠野に殺到した。
『ノモハンの夏』に続く、“昭和史シリーズ”第二弾!」
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ソ連の人たちも平和を愛していたという。モスクワの「赤色プロレタリア工場」の決議文。下「」引用。
「ソビエト国民は、平和を愛する国民である。また、全世界の平和に賛成である。……日本の壊滅が早ければ早いほど、それだけいっそう速やかに全世界に全般的な平和がやってくるであろう。われわれは、この時を近づけてくれる赤軍を、自分たちの労働をもって援助するものである」
この論理ならば、ヒトラーも同様に平和を愛していたことでしょう……。
そのためには多くの血を流すことも厭わない人たち……。
信用できるものではないとボクは思う。
大きな歴史の流れを知っておればこんな感想はでないはず。下「」引用。
「「なぜソ連が日本に戦争を?」--その背後にどんなに複雑怪奇ともいえる国際政治のかけひきがからんでいることか。それを知らない日本人には、ただ殺到するソ連戦車に理解を超えた無意味さを感じ、襲いくるソ連兵が不吉で真っ黒な悪魔の化身のごとくに思えたとしても、それはごく自然なことであったかもしれない。」
『日露戦争』
いや、それ以前から、西郷隆盛や坂本龍馬も脅威としていた。
そのことを、半藤は書く。下「」引用。
「日露戦争後もロシアの南下政策は、強まることはあっても決して消えることはなかった。脅威はいぜんとしてつづき、当時の流行語に「脅露」という言葉である。日本にとって、いぜんとしてロシアは仮想敵の第一の強国なのである。このため明治三十八年(一九○五)九月に大連においた関東総督の指揮のもと、関東州に満州駐留軍(二個師団・約一万の兵力)を創設する。これがのちに強大な関東軍へと発展する。関東軍とよばれるようになったのは大正八年(一九一九)である。」
幻想を持っていた日本人。下「」引用。
「そういえば昭和の初期のロシア文学の翻訳が、ほかの国とくらべて、かなり情緒的であったのが思いだされる。それを日本人は好んで読んだ。現実のソ連からいくら逸(そ)れていようと、つまり恐るべき粛清と暴政がそこで起っていようと直視せず、自分の願望をこめて美しいロシア・イメージを描くものが、日本人はかなり多くいたのである。」
「美しい国=ソ連!」ということだったのでしょうか?
スターリン「連合国は女のようなものだ。たたけばたたくほど惚れてくる」
上野千鶴子さんの前でスターリンはこんなことが言えたのでしょうか?
ボクはいえません……。(-_-;)
それに妙な趣味ももっていません。(-_-;)
ここでも、ソ連兵の倫理のなさが書かれてありました。下「」引用。
「女性と子供は丸刈りになり、日中でも一人で外出することは禁止となった。」
9月2日、戦艦ミズーリ号上での、最終降伏文書調印。
その日ラジオ演説、スターリン「この戦争(*日露戦争)でロシアは敗れた。その結果、日本は南サハリン(樺太)をかすめ取り、千島列島にどっしり腰をすえ、かくしてわれわれの太平洋への出口を閉ざしてしまったのである」
ロシアにもいい人もいれば、悪い人もいる……。
スターリンはソ連国民にとっても、悪人だったとボクは思う。
文学や映画などで、事実じゃないことを伝えることがあるかもしれないが、冷静に判断しないと危険かもしれないと思いました……。
事実が大切ですね。ファンタジーも事実をねじ曲げるものでないとボクは思います。空想を楽しんだりするものですね。
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