『ポプラ・ノンフィクション55 ごめんね、お母さん
-長崎で原爆をみた少年の心の記憶-』
荒木正夫・文/高橋孟・絵/ポプラ社1991年
戦時中でもいろいろな立場の人がいるものです。
直接被爆されたわけではありませんが、
諌早の病院で被災者のお世話をされた方の話しです。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「広島につづいて、長崎にも原子爆弾がおとされました。昭和二十年八月九日午前十一時二分すぎのことです。
そのとき私は十六歳で、長崎市の中心から三十数キロあまりはなれた。諌早市の、佐世保海軍病院諌早分院で命をうけてはたらいていました。
原爆投下の一瞬のはげしい閃光は、四十数年後のいまもまぶたにやきついています。けれど、その直後にぞくぞくと病院にはこびこまれてきた、うめき、のたうちまわる被災者たちの苦しげな表情も、けっしてわすれません。」
輸送船に乗り込むことになりました。
しかし、母子家庭の主人公は、母のことが気にかかり脱走します。
“輸送船乗船命令拒否”となり、病院勤務を命じられます。
命令書は以下。下「」引用。
「命令書
昭和十九年二十八日付を以て
佐世保海軍病院諌早分院(主計科烹炊所(しゅけいかほうすいしょ))勤務を命ずる
昭和十九年二月二十五日
諌早市職業紹介所 所長
荒木正夫殿」
原爆が投下されたことが噂されます。
しかし、原爆ということはわからず、
新型爆弾ということでした。
そして、今でいう厨房に勤務していた主人公も、
職場にとどまり、負傷者の夕食の準備です。
被災した二人の幼い子どもに角砂糖をプレゼントする主人公。
そして、その二人の子どもの母は死亡します。
いくつもの不幸が描かれています。
サヨナラはお乳の匂い-脱走から生まれた わたしの終戦-
もくじ
-長崎で原爆をみた少年の心の記憶-』
荒木正夫・文/高橋孟・絵/ポプラ社1991年
戦時中でもいろいろな立場の人がいるものです。
直接被爆されたわけではありませんが、
諌早の病院で被災者のお世話をされた方の話しです。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「広島につづいて、長崎にも原子爆弾がおとされました。昭和二十年八月九日午前十一時二分すぎのことです。
そのとき私は十六歳で、長崎市の中心から三十数キロあまりはなれた。諌早市の、佐世保海軍病院諌早分院で命をうけてはたらいていました。
原爆投下の一瞬のはげしい閃光は、四十数年後のいまもまぶたにやきついています。けれど、その直後にぞくぞくと病院にはこびこまれてきた、うめき、のたうちまわる被災者たちの苦しげな表情も、けっしてわすれません。」
輸送船に乗り込むことになりました。
しかし、母子家庭の主人公は、母のことが気にかかり脱走します。
“輸送船乗船命令拒否”となり、病院勤務を命じられます。
命令書は以下。下「」引用。
「命令書
昭和十九年二十八日付を以て
佐世保海軍病院諌早分院(主計科烹炊所(しゅけいかほうすいしょ))勤務を命ずる
昭和十九年二月二十五日
諌早市職業紹介所 所長
荒木正夫殿」
原爆が投下されたことが噂されます。
しかし、原爆ということはわからず、
新型爆弾ということでした。
そして、今でいう厨房に勤務していた主人公も、
職場にとどまり、負傷者の夕食の準備です。
被災した二人の幼い子どもに角砂糖をプレゼントする主人公。
そして、その二人の子どもの母は死亡します。
いくつもの不幸が描かれています。
サヨナラはお乳の匂い-脱走から生まれた わたしの終戦-
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