磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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講談社文庫 湯川秀樹対談集1 半日閑談集

2009年05月19日 | 読書日記など
『講談社文庫 湯川秀樹対談集1 半日閑談集』
   湯川秀樹・著/講談社1980年

談話集ですね……。
文化的なこともよく知っておられます……。



京都と東国……。下「」引用。

「湯川 そうですね。京都にいますと、一年でも長く生きれば生きるほど、やっぱり京都に伝わってきた文化というものはいかにいいか、ということがよりよくわかってくる。-略-
梅棹 -略-ところが東京なんかでしたら、よほど成立しにくくなると思うんです。そこで、過去を裏切るような要素は、日本においては、常に東国にでてくることになる。」

京都は文化的なところ、東国は文明的なところ……。
--今もそうですね……。

荘子のことがよく出てくる……。下「」引用。

「湯川 -略-いまでもいちばん好きな本の一つは、例の荘子ですね。「北冥有魚」というところから始まる。ものすごい空想であるけれども、また自然哲学でもあるわけでね。だから、そんなものも好きでしてね。このごろは、何かわからんことはすべておもしろいな。あんまりいろいろ事実が蓄積して、動きがとれん、空想を働かす余地がないというのは、おもしろくないね。」

「統一的な「場」の考え方」下「」引用。

「湯川 -略-つまり万有引力の場が、実は、時間、空間の幾何学的な構造と関係してるんだという。ものすごく高遠な理論をつくり出した。そのあと、それならもう一つの電場、磁場、そのほうはどうしましょうかということになった。これもひとつ幾何学として理解したいということで、アインシュタインなり、ほかの人なりが、大いに一つにまとめることに努力してきた。-略-それで、私などかやっているのは、それとは違う段階の話でね。つまり素粒子というのがいろいろあり、それぞれの場としてあらわす。それで素粒子の種類がふえれば、場の種類がふえるというのではまずいから、それを何かとまとめようというのが現代的な統一場理論ですね。その場合、場という概念が使えるか使えないかということは問題ですけれど。それを一生懸命ぼくもやっているわけやね。それは昔からいう統一場とは非常に違っているわけです。」

歴史を背負わぬ「ミュー中間子」、歴史を背負う遺伝子……。下「」引用。

「たとえばミュー中間子という素粒子が宇宙線の中にたくさんあって、われわれの体をしょっちゅう突き抜けているわけですね。そういうものは、地球の回りの大気層の中のどこかでできたものです。やがてそれはこわれる運命なんだ。しかしね、それはいつできたから、もうこわれなきゃならん、これは百年目だからこわれなきゃならん、というふうにはなっていないわけです。-略-だから、素粒子の世界というのは大体歴史を背負っておらんわけです、個々の素粒子はね。
 ところが、そういう素粒子の中にあるものが、だんだんと集まって巨大分子になる。高分子といいますかね。そいうものが集まって複雑な組織をつくって生物になりますとね、これは非常に歴史を背負っているわけですね。-略-その親のDNAがどうして決まった、またその親のDNAで決まった、というようなふうに、非常に長い歴史を背負っているわけです。」

この歴史的なものを破壊するのが、現在の市場原理主義……。
--新型インフルエンザも理性ある文化的なものであれば、発生しなかった確率は高いのでは?

司馬遼太郎とバスクについて。
--バスク語が蒙古語は、日本語と同じコンポジョンをもっているという。
バスク人で有名なのは、フランシスコ・ザヴィエル。

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